東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

ミツマタはお好き?

2015-03-16 | 季節の花
 私はミツマタを原料にして漉いた紙に
 福沢諭吉なんかを印刷した製品が好きです。
 まあ、樋口一葉でもいいけど・・・。


 

 青空の下で見るミツマタの花、ちょっとハイキーで。




 

 ミツマタってみんな下を向いて咲いてる、
 あまり大きな木じゃないので真下から空へ抜くのは楽じゃない。




 

 細かい枝がいっぱい出ている
 枝は名前通りちゃんと三つ又に、うまく出来ているなぁ。


 ここにはもっと大きな花が咲くのがあった
 まるでポンポンダリアのような大きな花、
 あれはどこへいっちゃったんだろう?、
 毎年楽しみにしていたのに、、、。
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街の中の小さな天神さま、梅島天満宮

2015-03-15 | 風景
 いつも使っている駅の近くの小さな梅島天満宮、
 ”うめじま”と濁ります、あっちの隣が梅田町、こっちの隣が島根町、足して割って梅島
 安易なネーミングだけど区役所はこの地にあり駅の乗降客もたくさん。
 お稲荷さんほどではないけれど天神さまもあちこちにありますね。


              

              ほんとに近所の人しか知らないでしょうね、
              線路とマンションに囲まれた小さな天神さま。




              

              天神さまと言えば梅の花、
              小さくてもしっかりと咲いています。




              

              こんな小さな境内だけど子供たち相手のイベントもたくさん開かれ、
              お祭りのときはお神輿だってちゃんと町内を練り歩きます。




              

              ちょっとゆっくりしているとお参りの人の姿も、、、
              こうした地元の人たちによって天神さまは守られているんですね。



 湯島の梅も亀戸天神の梅の花もいいけど
 私はこうした鄙びた風景が好きなのでこの時期は何回か行きます。
 地元密着型の小さな神社、古くからの日本人の心が息づいています。
 
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吉田松陰も眠る南千住・回向院

2015-03-14 | 散歩
 南千住の回向院はこの地にあった刑場での死者を供養するため作られました、
 吉田松陰を始め安政の大獄にかかわり刑死した橋本佐内などたくさんの人たちが眠っています。
 のちに常磐線開通に伴い分割された場所が延命寺となりました。
 円通寺と共に通勤路になるので寄ってみました。


              

              吉田松陰の墓。
              実際には空墓だけど一緒に刑死した人たちと共に
              ここに供養されているものと思う。




 

 私が書くより説明板で。




 

 ここの墓所は左右に分けられており左は一般の墓、右に観光客のために有名人の墓と分けられている。
 正面が吉田松陰、左右にずらりと並ぶは井伊大老を襲撃した人たちの墓
 さらに右奥に橋本佐内、右手前には有名人?の墓が並ぶ。
 バックの建物は簡易宿泊所、そうここは山谷にも近い場所だ。




 

 またここは杉田玄白らによって「解体新書」が表された場所、
 記念のレリーフがある。




              

              有名人としては「鼠小僧」、他の場所にも墓があるけどここにも、
              ”俗名”として鼠小僧は面白い。




              

              ”毒婦”高橋お伝の墓。
              斬首刑を執行された最後の女性とされる。




              

              腕の喜三郎、江戸時代の侠客。
              嫌われ者の侠客と喧嘩、勝つには勝ったが片腕を深く傷つけられ
              めんどくさいからと子分に切り落とさせた。
              人々は驚嘆しそれ以降「腕の喜三郎」と名を馳せた。




              

              ここにも吉展地蔵尊がある、円通寺で遺体発見ののち
              ここ回向院に葬られた。




 

 すぐ近くの延命寺、小塚原刑場跡。
 元は回向院だったが常磐線が出来たため分割され別の名前となった、
 大きな首切地蔵が目を引く。
 刑場跡に延命寺とは皮肉と言えば皮肉だな。




 

 この首切地蔵も先の東日本大震災で体が大きくずれた
 当時の写真が展示されている。
 まあ胴体でよかった、首でも落ちたらシャレにもならない、、、。



 浅草散歩がいつの間にかおどろおどろしい散歩になってしまった、
 この辺りは自転車での通勤路に当たるのでつい足を突っ込んでしまった。
 近いうちに最後の一回をやって春らしい話題に戻ろう、
 ここら辺は吉原に近くまた山谷にも近い江戸の外れ、どうしても暗い話題が多くなる。
 




              
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春萌え~

2015-03-13 | 季節の花
 昨日、今日と暖かくなりました。
 でも喜んでばかりもいられません、来週は暖かいけどその次の週は寒くなるとか。
 でもそこはそれ3月も半ばなのであちこちで春が萌え~、
 足元でも小さな春が生まれています。



 

 林の中の木々の間にこんな小さな春を見つけた、
 カイワレ大根みたい。




 

 正体はコケです。コケと言うと地面に貼りついているはずだけど
 これはコケから伸びた「胞子体」ですね。




 

 多分「スナゴケ」の一種だろうけど正確な名前は分かりません。




 

 木漏れ日を浴びてすっかり春色、
 林の中の朽木の間での小さな春です。



 カメラを地面に置いてバリアングルモニターで撮影、
 慣れないので構図だピントだといってる間に
 太陽はどんどん動いていく。
 木漏れ日の中なので風で木の葉が動くたびに光も動く、
 なんだかんだと光との闘いでした。
 
 
 
 
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歴史を見てきた円通寺

2015-03-12 | 散歩
 昨日の聖観世音菩薩、あの円通寺へ行ってきました、
 三ノ輪を過ぎ南千住となります。
 この辺りは江戸の外れで小塚っ原(こづかっぱら)と呼ばれ
 江戸時代には西の鈴ヶ森と並んで刑場があった場所です。
 延暦10年(791)坂上田村麻呂によって開かれた寺は何を見てきたのでしょうか。



              

              源義家が奥州征伐の際48の賊首を埋めて供養した首塚、
              そのため骨ヶ原が小塚っ原となったとの説も。
              上の七重の塔横の松は三代将軍家光が鷹狩の際放った鷹が
              止まったとされる「鷹見の松」。




              

              幕末、官軍と彰義隊の戦いの際被弾した「黒門」、
              今の京成上野駅付近にあったらしいが
              彰義隊は現在の上野公園の西郷さんの像辺りから応射するも
              西郷率いる薩摩軍に突破され瓦解した。




 

 荒川区による解説




 

 「死節之墓」と記された彰義隊隊士の墓。鳥羽、伏見、函館、会津などの戦死者と共に合祀されている。




 

 黒門(上野寛永寺の総門)全景。
 黒門があったことからこの一帯は黒門町と呼ばれていた、
 名人・八代目桂文楽はここに住み黒門町の師匠と呼ばれる。




              

              1963年「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件発生、
              遺体がこの円通寺の墓所から発見された。
              捜査に当たったのはあの”平塚八兵衛”「三億円事件」も手がけた。
              吉展ちゃん慰霊の地蔵尊。





              

              あの聖観世音菩薩は化粧直し中だった、
              殺伐とした世の中にならないよう見守っていてください。



 江戸の外れとなるこの辺は忌まわしい過去を見てきた寺が散在する、
 寺という性格上致し方の無い面もあるけど見てくると心痛む場面もある。
 あと数回続けるけどその後はなるべく明るい話題としたいなあ、、、。
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