ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

社会と個人

2014年01月24日 | Weblog
個人が原発に反対でも社会が原発賛成で原発をつくれば放射能汚染が起こって、その人が生活生産の場を失ったり、放射能障害にかかったりします。
原発社会から逃げて原発ゼロ社会に行けばいいと言われても生活生産に慣れた現社会を捨てることは容易ではありません。

社会を愛するが社会の考えは自分の考えに合わない。
何んとか社会の考えを変えたいと思うが、変わらない。

社会の考えと個人の考えの不一致は永遠の問題です。
独裁社会であろうが、民主主義社会であろうが、社会主義社会であろうが、どんな社会も不幸な人を生みながら動いていきます。
経験知識は社会の改善に役立っていますが、大半の人々がその経験知識を共有する状態にならないと経験知識は社会を変える力になりません。

原発は人の命にかかわる大問題ですが、放射性物質を安全隔離できるか否かについて安全隔離できると思う人が多く、人々の判断が二分されています。
大半の人々が放射能の恐ろしさを経験し、原発の危険性を知るようになって初めて社会は原発廃止を決めるでしょう。
その決定までに非常に多くの人々が犠牲者になるでしょう。

放射能汚染の深刻さは、大半の人々が原発の危険性を知って廃止を決めても永遠に放射能汚染が続き、放射能障害者を生み続けることです。

私達は現在の幸福を考えるだけでなく、未来の幸福、子孫の幸福を考えることが大切ではないでしょうか。
すべての人が幸福である理想社会はないとしても、理想社会を追求する社会はあります。
理想を考える個人が増えることで理想社会を追求する社会は実現します。
理想を考えることは青臭いと批判する大人が多いのですが、老人になると理想を考える人の方が元気に見えます。