私が所属する町内会の防災部が、役員会で、道路を挟んで向かい合った家からなる近所(向う三軒両隣の拡大版)の助け合いを否定し、道路に囲まれた家からなる近所を基本とする現在の班の助け合いでいいと主張して防災ボランティア達を含めた防災部防災委員会に、道路を挟んで向かいった家からなる近所の考えを廃止することを提案してきました。
すでに4年間、災害時安否確認訓練や消火訓練を、道路を挟んで向かい合った家からなる近所毎にやってきたのにどうしてこのような提案をするのか聞いてみると、安否確認は班長の仕事である、したがって班長は自分の班の安保確認を行うということでした。
役員は班長です。
一見、責任感のある班長達に見えますが、これまでに班で助け合いをやろうと主張した班長は一人もいません。
ほとんどの班長は班長になるのは嫌、役員になるのは嫌と文句を言ってきました。
変です。
おそらく、班以外の近所の考えで助け合いをやっていると班長の権限が犯されていると思う権限意識が役員会で働いたのだと思います。
一見、責任感のある班長達に見えますが、これまでに班で助け合いをやろうと主張した班長は一人もいません。
ほとんどの班長は班長になるのは嫌、役員になるのは嫌と文句を言ってきました。
変です。
おそらく、班以外の近所の考えで助け合いをやっていると班長の権限が犯されていると思う権限意識が役員会で働いたのだと思います。
現在の班は、まったく近所の助け合いを考えなかった時代につくられたもので、道路の向う側の家は他班になります。
違う班なのに通常よく顔を合わせ、おしゃべりをするのは他班の人、両隣の人はいいが、自分の裏の人は自班の人でもほとんど顔を合わせることもないし、おしゃべりをすることもありません。
班長が町内会費を集める、回覧板を回す、それだけの班で班の助け合い運動などこれまでやったことはありません。
このような班で助け合いをやるより、道路を挟んで向かい合った家の人が助け合った方がはるかに合理的です。
違う班なのに通常よく顔を合わせ、おしゃべりをするのは他班の人、両隣の人はいいが、自分の裏の人は自班の人でもほとんど顔を合わせることもないし、おしゃべりをすることもありません。
班長が町内会費を集める、回覧板を回す、それだけの班で班の助け合い運動などこれまでやったことはありません。
このような班で助け合いをやるより、道路を挟んで向かい合った家の人が助け合った方がはるかに合理的です。
防災委員会では防災部と防災ボランティア達が激しい議論を展開しましたが、まったく意見が一致せず、最後は町内会長が、道路を挟んで向かい合った家からなる近所の助け合いを重視すると結論を出し、防災部の提案が否決されました。
町内会長は、今後も班長が班で助け合い運動をやってくれることはないと考え、班長達の考えを採用せず、防災ボランティア達の考えを採用したのでしょう。
ところで道路を挟んで向かい合った家からなる近所が班なら役員会はこのような提案をしなかったでしょう。
しかし役員会は現在の班を編制し直すことも否決したそうです。
班長達の複雑な思惑がよくわかります。
班の再編は次年度の宿題になりました。
近所の助け合いは非常に重要です。
保守では町は改善できません。