ゲートボール(GB)日記

まちなかの公園でGBを楽しんでいます。GBは老若男女一緒に楽しめる数少ないスポーツの一つです。まちびと

富岡製糸場

2016年08月21日 | Weblog
伊香保温泉で1泊して次の日、富岡製糸場に向かいました。
バスで渋川に行き、ここから高崎に出、ここで上信電鉄に乗り換えて上州富岡に行きました。
バスや電車を利用すると、見るもの、聞くこと、考えることが非常に多くなり、旅が豊かになるように思います。
子供たちにとっても記憶が豊富になるのではないでしょうか。

上信電鉄は単線で、施設設備はとことん節約しているようです。
それでも経営は厳しいのではないでしょうか。
私達が乗った朝の電車はがらがらでした。
真夏ですから富岡製糸場に行く人はいないのかもしれないと思うほどでした。

上信電鉄は北と南が山になっている谷部を流れる鏑(かぶら)川に沿って西にある妙義荒船佐久高原に向っています。
終点は荒船山の麓の下仁田(しもにた)です。
上州富岡は高崎と下仁田の中間地点にあります。
鏑川が流れる谷部は結構幅の広い平野部を形成しており、昔は桑畑が多かったそうです。
一大養蚕地だった訳です。

上信電鉄沿線はのどかな地方のおもむきですが、富岡に来ると急に町が現れます。
富岡製糸場は駅から歩いて15分とのことでしたが、バスの便はなく、炎暑の中、老人、幼児を含む9人にとって歩いていくのはきつかったのでタクシーを利用しました。
工場の近くに行くと急に人が増え、狭い道を人が大勢工場の門に向かって歩いていました。
上信越自動車道を使って車で来る人が多いということがわかります。

門のすぐ向こう側に見える赤煉瓦の建物が大きく、高く見え、辺鄙なところに忽然として現れた巨大建築物という印象を受けました。

幕末から貿易については有識者は真剣に考えていたと思います。
明治政府は明治3年(1870年)に官営生糸製糸場建設を決定しました。
フランスが生糸輸出が有望と提案していたのでしょう、工場建設運営についてフランス人のブリュナを雇いました。
ブリュナがもらった報酬が政府高官並み、彼の家族の住宅が豪邸、工場がいくらかかったかわからないくらい豪勢な木骨煉瓦造ということでいかに明治政府が生糸生産輸出に期待したかよくわかります。

世界文化遺産に登録されたのは豪華な赤煉瓦の工場群だけでなく、富岡製糸場を中心とする当時の絹産業遺産群となっています。
今回は訪問できませんでしたが、養蚕農家の原型となった田島弥平旧宅(伊勢崎市)、蚕の卵の貯蔵施設だった荒船風穴(下仁田町)、民間養蚕教育機関だった高山社跡(藤岡市)が含まれています。

さて、炎暑の中、ガイドの案内で、赤煉瓦の東置繭所(ひがしおきまゆじょ)、赤煉瓦の検査人館、木造の女工館、赤煉瓦の操糸所、赤煉瓦のブリュナ館などを見学しましたが、中に入れた建物は東置繭所、操糸所だけで、後は外観見学だけでした。
2014年に世界文化遺産に登録されたのに整備が遅れているようです。
そのほか、東置繭所は、1階が事務所と作業所、2階が乾燥させた繭の貯蔵所だったのですが、当時の状態が再現されておらず、世界遺産の展示方法に大きな問題があると思いました。

早くも訪問者数が減りつつあるとのことですが、訪問者の減少を心配するより、文化の保存、展示にもうちょっと工夫をしてほしいと思います。
たとえば門を入って左手に行くと、診療所がありますが、窓などが破壊したままです。
破壊状態を放置している場所はそのほかにもいくつかあります。
しかし廃墟を展示している訳ではないでしょう。
保存するなら、当面、手を入れていることがわかる程度に整理整頓することが大事と思います。

未整備の観が強い世界遺産でした。


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