遅ればせながら、先日、これを観に行ってきました。
初演が終わった後での、浅田彰さんを司会にしたアフタートークでも、浅田さん自身が仰っていたように、
もう、感想というものを、こういう場で、言葉で記そうとすること自体が野暮な気がしているんですが、
なにか、こう、最高に良かった、この公演を多くの人に伝えたい気持ちが勝ってしまうので、途中、訳のわからないことを書くかもしれませんが、何とか、書いてみたいと思います。
席に着いて、舞台を見ると、何もない。
ここだけ見ると、これから、何が始まるのか、わからないでしょうし、もし、第三者がいて、この何もない舞台に、人々が集まってきているのだけを見ているとなると、いったい、この人達は、何をしにきているのだろう、と不思議に思うことでしょう。
しかし、開演時間を過ぎると、
音が出た、光が照らした、人が動き始めた、走り始めた、踊り始めた!
最初の何分間のパフォーマンスは、ダムタイプらしさが出て、いや、ダムタイプそのもの。
考えれば、ダムタイプのパフォーマンスを、今まで、その場で録画されたものは、何度か観たことがあったのですが、生で観るというのは初めて。それを想った瞬間、身体じゅうに鳥肌が立つのを覚えたのです。
「今、目の前でダムタイプのパフォーマンスが生で繰り広げられている!」
感想を書いているだけの今でも思い出すと鳥肌が立ちます。
その後、薮内美佐子さんや平井優子さんを中心としたユーモアたっぷりな演技や美しいダンスパフォーマンスが交互に、時には平行して展開されます。
幾何学的な数式が映し出された中や星空を思わせる映像の中でのパフォーマンス。これも、ダムタイプらしい表現。加速度センサーも駆使されていたとか。映像とパフォーマーの動きがちゃんと合っていて非常に美しかった。
デレク・ジャーマンの「庭」の映像を背景に、男女2人が頭からバケツをかぶって、お互いのバケツを叩きあい、ともに並んで拍子をとりながら、ユーモラスなカニ歩き状態で、ゆっくりと舞台の端へ動いていく様が、おもしろいながらも、不思議に哀愁みたいなものも感じるような…。
黄色の照明に映し出された色の着いた物体がモノクロに見える不思議さ。
写真学校の授業を思い出し、実際にこうなるんだと、あらためて認識させられました。
最後の白い光の中で、うごめくように動く、平井さんのパフォーマンスは、凄く意味深で印象的。パッと見、雪山登山を思わせながら、それをラストシーンと認識する時、胎児が羊水の中でうごめいているのを表現していることに気付かされるのです。
(今後の公演に対してのネタバレになるかもしれないので、これ以上はあまり詳しくは書きません。)
しかし、終始、意味のわかりづらいパフォーマンスでありながら、少なくとも、そこに人間の普遍的な何かしらを常に感じることのできるパフォーマンス。それは、明らかに言葉ではない、普遍的な何かしら。
その普遍的な何かしらが感じられるからこそ、一見、無機質に見える作品でありながら、僕は常に強い好感を持ち続けられずにはいられません。
僕が公演を観た次の日、2回目の公演が催され、会場近くで別件の撮影をしていましたが、幾度となく、再度、観たい衝動に掻き立てられたのでした。その気持ちは、今でも変りません。
今後、DVDが発売されたりするなら、迷うことなく購入するでしょう。
今一度、よく観て、各シーンごとの意味合いを自分なりに紐解きたい。そのように、さらに理解を深めることによって、さらに、この作品の感動を深く感じることは、もちろんのことながら、間違いありません。
そして、最後に、自分が、その世界初演を生で観た、という感動で、再び、身体じゅうに鳥肌が立つのを覚えるのは、想像に難くないのです。
クロマデレク ジャーマン Derek Jarman アップリンク 2002-07by G-Tools |
関連リンク。--------
http://shiro.dumbtype.com/(SHIRO TAKATANI オフィシャル)