はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

古代史の舞台を歩く 祟りのはじまり

2015-06-20 10:20:17 | 古代史の舞台を歩く
京都に上御霊(かみごりょう)神社があります。我が芭蕉さんも、元禄3年の師走に「半日は 神を友にや 年忘れ」という句を作っています。この神というのは、ここに祀られている8人の御霊です。早良親王をはじめ非業の死をとげられた方ばかりです。義仲びいきの芭蕉さんらしい句だと思うのですが…。そして、早良親王とは桓武天皇の弟です。

早良親王の前に、桓武天皇のことを少し話しましょう。桓武天皇は、794年(なくようぐいす)に平安京を造った天皇として有名です。桓武は平安京を真っ先に造ったのではなく、はじめに長岡京を造りました。その理由は、平城京の地理的な問題の他、諸々ありますが、東大寺などの既存仏教勢力から距離を置くことがねらいだったようです。

ところが、弟で皇太子でもある早良親王は、仏教勢力側の人物でもありました。そんな中、桓武天皇が一番信頼していた官僚の藤原種継が暗殺されるという事件が起こりました。その事件に連座して早良親王は乙訓寺に幽閉されてしまいます。無実を訴えてハンガーストライキを続け、淡路国に流される途中で亡くなりました。遺骸はそのまま淡路島に葬られました。

そして、桓武を苦しめる出来事が次々に起こります。翌年、桓武夫人の母が亡くなり、2年後には桓武夫人が亡くなりました。その翌年には桓武天皇の母が亡くなり、また翌年には皇后がなくなりました。同年、息子までが重病になりました。病気の原因を占うと、早良親王の祟りということでした。(これが、人が祟ったはじめての例のようです。)

桓武天皇は、都を長岡京から平安京に移し、早良親王の遺骸を大和に移送し、崇道(すどう)天皇と追号しました。

(白壁に囲まれた崇道天皇八嶋陵)
(伝説の残る八つ石)

崇道天皇陵のある八島町へは、JR桜井線の帯解駅(おびとけ)から20分ほどです。帯解寺にも以前、伊勢街道を歩いているときお参りしました。伊勢街道(上ッ道)沿いにあります。日本最古の安産祈願の寺としても有名です。現在も美智子さまや雅子さまなど、宮内庁御用達のお寺です。