はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

御池川と木地師の里のこと

2015-07-15 11:20:54 | 日記
先日、渓流釣りに訪れた滋賀県を流れる愛知川上流の御池川ですが、この川は木地師の里を流れてます。
小椋谷にある、蛭谷(ひるたに)や君ガ畑(きみがはた)が木地師の聖地といわれる所です。
(木地師の里 蛭谷)
木地師というのは、簡単に言ってしまえば、ロクロを用いて碗や盆などの木工品を加工、製造する人たちのことで、山に生きる人たちです。

木工品を作るためには、材料となる木材が必要です。木材は山にあるのですから、山に住みながら作業をします。しかし、しばらくすると周辺の木は無くなります。そうすると、他の場所(山)に移動しての作業となります。そうして次から次へと移動していくことになります。しかし、山といっても、当然その土地の持ち主がいるわけで、勝手に木を切ることができません。そこで、彼らが持っていたのが、朱雀天皇の綸旨(りんじ)や信長の免状などの“お墨付き”なのです。その“お墨付き”には、「諸国の山々に自由に入ることを許す」と書かれていたそうです。
それではなぜ、蛭谷や君ガ畑が聖地なのかというと、平安時代初め頃、惟喬(これたか)親王が、小椋谷に隠棲され、ロクロを発明されて、木器をひく技術を教えられたのが木地師のはじまりということだそうです。
その後、数百年かけて小椋谷にある神社が、氏子狩といって、全国各地に散らばっている木地師に“お墨付き”を与え(有料でしょう)氏子としていったそうです。木地師の方も、自分たちは惟喬親王にロクロを教えられた者の子孫であるという誇りを持っていたことでしょう。
こうして、小椋谷が木地師の聖地となっていったのです。
(ようこそ木地師のふる里へ 君ガ畑)

山にくらす人々のことについては、民俗学者の宮本常一さん『山に生きる人びと』(河出文庫)に詳しく書かれています。宮本常一さんといえば『忘れられた日本人』が有名ですが、日本中を歩いた民俗学者です。宮本常一さんのことはまた別の機会にお話しましょう。

御池川にも古い歴史があったんですね。そこの住む魚も木地師にとっては聖なる魚でしょうね。釣らなくて(釣れなくて)良かったです。
(木地師の里を流れる御池川)