はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

祇園祭 宵々山に出かけました

2015-07-16 20:46:01 | 京都をぶらり
祇園祭は、千百年以上続く祭りで、日本を代表する祭りと言っても過言ではないでしょう。そんな祇園祭の宵々山に出かけてきました。
(四条通の長刀鉾)
祇園祭は、平安時代のはじめ頃、京の都に疫病が流行した時、神泉苑に66本の鉾を立てて祇園の神を迎えて祭り、祇園社の御輿を神泉苑に送って厄災の除去を祈ったことに由来しているそうです。昔は疫病が流行ったときは、神様か仏様に頼むしか術はなかったのでしょうね。
(新町通の放下鉾)
(放下鉾の胴掛)
(船鉾)

祇園祭が疫病の除去を祈った祭りというのは、先ほど書きましたが、各町内で粽(ちまき)が売られています。この粽は食べるちまきではなく、厄除けのちまきなのです。
(放下鉾の粽)
この粽は、八坂神社の主祭神である牛頭天王(ごずてんのう)に由来します。(スサノヲノミコトの話もあります)牛頭天王が旅をされたとき、一夜の宿を請うた時に、蘇民将来(そみんしょうらい)は厚くもてなしました。それを喜ばれた牛頭天王は、お礼に「今後、お前の子孫は末代まで私が護ってやろう。目印に腰に茅の輪をつけていなさい。」と言い残しました。そのおかげで、後に疫病が流行った時も、蘇民の一族は生き残り繁栄したということです。
そこから、「茅巻」と呼ばれるようになり、それが「粽」となって厄除けのお守りとなったそうです。
粽には「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」という護符がつけられています。「私は蘇民将来の子孫です。だから、災いから護ってください。」という意味だそうです。
(民家の玄関にある粽)

疫病というのは、よほど恐ろしいものだったのでしょう。古い京町屋の屋根には「鍾馗(しょうき)さん」が居て、疫病が近寄らないように睨みをきかしていました。
(屋根の上の鍾馗さん)

夜になると、烏丸通りは歩行者天国になり、両側には夜店が並び、人また人であふれかえっていました。
鉾や山にも灯りがともされて、祭りも一段と盛り上がってきました。
(烏丸通りのにぎわい)
 (夜の孟宗山)
(夜の山伏山)

もうこうなると飲むしかありませんね。「いただきます。」