河童橋にやって来ました。
ここ数年は、「河童橋ライブカメラ」をチェックすることが毎朝の日課になっています。
パソコンの画面では見慣れた風景ですが、やはり本物の風景を目に前にすると感動します。
河童橋は上高地のシンボルといってもいいでしょう。
今の河童橋は5代目(平成9年)だそうです。初代の河童橋は明治24年に設置された丸太の跳ね橋だったそうです。
梓川の下流側には今も噴煙を上げる焼岳が存在感のある姿を見せています。
大正4年に大爆発を起こして大正池を造ったことは有名です。
こちらは奥穂高岳です。これまで4回登りました。最後に登ったのは2017年ですが、多分それが最後になると思います。
河童橋の由来は、昔ここに河童の棲む淵があったとか‥。諸説あるそうです。
河童橋は、実際にここを訪れた芥川龍之介の小説『河童』で、その名が知られるようになったそうです。
奥穂の山頂をよく見ると尖っているのがわかるでしょうか。
拡大しました。奥穂高岳の標高は3190mで日本第3位の高さです。第1位はいうまでもありませんが、第2位の北岳とは2mの差でした。(今は3mの差です。)
これを悔しがった穂高岳山荘の主人が3mのケルンを積み上げて第2位の高峰にしたそうです。なんとも穂高愛にあふれた話です。
西穂高岳から間ノ岳、天狗岩へとつづくエキスパートのみにに許された稜線です。
こちらは明神岳です。上高地から明神に歩いて行くと、この山が正面になります。明神には穂高神社奥宮が祀られています。
再び焼岳です。焼岳には上高地から中尾峠まで登りましたが、あと1時間が歩けませんでした(笑)
奥穂と前穂を結ぶ吊尾根です。スリルのある尾根歩きが楽しめます。反対側は涸沢です。
再び定番の風景です。岳沢カールにも少しずつ朝日が差し込んで来ました。
<つづきます>
※撮影日 2021.9.10
ここ数年は、「河童橋ライブカメラ」をチェックすることが毎朝の日課になっています。
パソコンの画面では見慣れた風景ですが、やはり本物の風景を目に前にすると感動します。
河童橋は上高地のシンボルといってもいいでしょう。
今の河童橋は5代目(平成9年)だそうです。初代の河童橋は明治24年に設置された丸太の跳ね橋だったそうです。
梓川の下流側には今も噴煙を上げる焼岳が存在感のある姿を見せています。
大正4年に大爆発を起こして大正池を造ったことは有名です。
こちらは奥穂高岳です。これまで4回登りました。最後に登ったのは2017年ですが、多分それが最後になると思います。
河童橋の由来は、昔ここに河童の棲む淵があったとか‥。諸説あるそうです。
河童橋は、実際にここを訪れた芥川龍之介の小説『河童』で、その名が知られるようになったそうです。
奥穂の山頂をよく見ると尖っているのがわかるでしょうか。
拡大しました。奥穂高岳の標高は3190mで日本第3位の高さです。第1位はいうまでもありませんが、第2位の北岳とは2mの差でした。(今は3mの差です。)
これを悔しがった穂高岳山荘の主人が3mのケルンを積み上げて第2位の高峰にしたそうです。なんとも穂高愛にあふれた話です。
西穂高岳から間ノ岳、天狗岩へとつづくエキスパートのみにに許された稜線です。
こちらは明神岳です。上高地から明神に歩いて行くと、この山が正面になります。明神には穂高神社奥宮が祀られています。
再び焼岳です。焼岳には上高地から中尾峠まで登りましたが、あと1時間が歩けませんでした(笑)
奥穂と前穂を結ぶ吊尾根です。スリルのある尾根歩きが楽しめます。反対側は涸沢です。
再び定番の風景です。岳沢カールにも少しずつ朝日が差し込んで来ました。
<つづきます>
※撮影日 2021.9.10