はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

山口の旅 (下関あたり)

2016-03-15 19:09:25 | 知らない街をぶらり
今回の旅は、司馬遼太郎著『街道をゆく1』と縁があるようです。司馬さんは、下関のあとに山口に入っているので、私とは逆のコースですが、同じ所を歩いているだけで司馬遼太郎ファンとしては嬉しいのです。
馬関(ばかん)、昔は下関のことをこう呼んだそうですが、味わいがある地名だとは思いませんか。
司馬さんは、こんな記述をしています。
「私は日本の景色のなかで馬関(下関)の急潮をもっとも好む。」「馬関海峡(ここは下関海峡というより馬関海峡とよぶほうが、潮の色までちがってくる)は、潮がはげしくうごき、潮にさからってゆく外国の大船までが、スクリューを掻き、機関をあえがせて、人間のいとなみの可憐さを自然風景としてみせてくれる。」
この後は、坂本龍馬の話になり、龍馬好きの司馬さんならではの展開になります。
 (馬関海峡の急潮をゆく船)

湯田温泉から下関までは、いちど新山口に戻り、山陽本線に乗り換えて向かいます。1時間半ほどの列車の旅です。
 

下関といえば、フグですよね。下関駅前にあったフグのオブジェです。この後も、いろんなところにフグのオブジェがありました。


まずは、唐戸市場をめざします。
 (愉快な仲間ご一行)

ところで、唐戸市場ですが、少し期待はずれでした。並んでいるのは、お寿司を売っている店ばかりで、そこにたくさんの人がお寿司を買い求め、すぐに食べられるシステムになっています。日本人も多いと思いますが、外国人の方が多かったように思います。




この光景は、たしか秋に行った金沢の近江市場でも見たものと同じでした。昔ながらの魚を取り扱う店もありましたが、閑散としていました。賑わっていますが、なんとなくさびしい光景に感じました。

気を取り直して、市場の前に広がる関門海峡を眺めました。潮の流れが大河のように激しいのがわかります。そこを何隻もの船が行き交っています。大きな関門橋も見えて、あのあたりで歴史的な戦いがあったのかと感慨に耽ります。


戦いのひとつは、源平最後の戦となった壇ノ浦の戦いです。1185年、この海峡で平家は滅亡しました。
それから678年後に、下関戦争がおこります。時は幕末、攘夷思想の長州藩が、イギリス・フランスなどの四国艦隊に対し砲撃をくわえましたが、相手の火力の強さにたちまち破れ、大きく方向転換していくきっかけとなった事件です。
(もうひとつありました。宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした巌流島の戦いです)

また、歴史の話になってしまいましたね。でも、旅をしていて楽しいのは、このように歴史にふれることができると言うことです。

さあ、今度は船で対岸の門司をめざすことにしましょう。
 (関門連絡船に乗船)

 (5分で門司港に)

次回は、門司のまちです。つづく。

山口の旅 (湯田温泉)

2016-03-14 19:35:52 | 知らない街をぶらり
湯田温泉にやって来ました。しかし、温泉街という雰囲気ではありません。普通の町の中に温泉があるという感じです。

私たちが泊まった旅館は、司馬遼太郎さんも泊まった旅館でした。『街道をゆく1』に、この旅館の記述があります。
「小倉から長途、周防山口に行ったときばかりは、宿の湯へ噛みつくようにして入った。湯があつかったが我慢した。」


司馬さんは「湯があつかった」と書いているのですが、「あつい」というほどでもなかったです。お湯は想像していたよりも、ぬるぬるしたお湯でした。最近は、このぬるぬるのお湯が流行のようですね。

そして、この旅館の庭は、すばらしいのですが、そのことにもふれています。
「六月十日、山口ニテ雨。アカマツ。と、私の手帳にある。「アカマツ」とそれだけメモをしてあるのは、この宿の、おそらく作庭して二百年以上は経ているらしい庭の赤松が、こまかい雨に濡れて枝もその根方の翠苔(すいたい)もじつにあざやかであった。その印象を忘れぬために書いておいた。」
 (そのアカマツです)

お庭の片隅には、明治維新で活躍した、西郷・大久保・木戸が語り合ったという会見所もありました。歴史を感じる空間です。


この旅館は、司馬さんもふれておられるように「古格な品」があります。私たちは、本館には泊まっていませんが、お部屋からは、庭を眺めながら至福の時を過ごせるのでしょうね。
 (本館とお庭)

 (別角度から)

 (館内の雛かざり)


お庭を拝見し、お湯にもつかり、いよいよお楽しみの夕食の時間です。せっかく山口に来たので、「獺祭」(だっさい)をいただくことにしました。(「だっさい」は岩国のお酒で、阿部首相がオバマ大統領にプレゼントしたことでも有名になりました)


そして、山口はフグが名物です。食事にもフグ料理がいろいろと出されました。そして、フグと言えば「ひれ酒」です。もちろん、いただきました。(つぎ酒もです)


料理も美味しかったですが、出される食器も「古格な品」がありました。


おいしいお酒とお料理の満足のゆく夕食でした。(もちろん、わいわいと賑やかな宴会であったことを申し添えておきます)


こうして、湯田の夜は更けていきました。

つづく。





山口の旅 (その1)

2016-03-13 16:53:32 | 知らない街をぶらり
3月11日・12日と、山口から下関・門司あたりを旅してきました。今回の旅は、連れあいさんの愉快な仲間たちと行く賑やかな旅になりました。
 (新大阪駅から「さくら」で出発)

いつも新幹線に乗ると出発式(ビールをプシュと開けるだけです)をするのですが、今回は座ると同時に発車してしまい、おごそかな出発式ができませんでした。新大阪始発なんですが、清掃に時間がかかったようでした。

2時間ほどで新山口駅に到着です。新山口駅は、2003年までは小郡(おごおり)駅と言われていました。のぞみ号が停車する条件として、小郡駅から新山口駅になったそうです。古い駅名がなくなるのはさびしい話ですが、これも時代の流れなんでしょう。(その後、小郡町は山口市になりましたが…)
 

新山口駅からは、山口線に乗り換えです。折り返し運転の気動車がホームにやってきました。




SLやまぐち号に乗りたかった(写したかった)のですが、運行されるのは春休みの土日だけのようでした。


山口市内では、サビエル記念聖堂と瑠璃光寺を訪れました。
サビエルは小学校の教科書にも登場する有名人です。「ザビエル」と思っていたのですが、山口では「サビエル」と呼ばれるそうです。
ご存知のように1549年(「以後、良く」と覚えましたね)に来日してキリスト教を布教した人物です。
 (サビエル記念聖堂)

 

サビエル記念聖堂は、1991年に焼失したそうです。(なんとなくそのニュースを覚えています)その後、現在の記念聖堂が再建されました。
外には、聖フランシスコ・サビエルの像がありましたが、教科書等で見慣れた顔とは違って見えました。
 (聖フランシスコ・サビエルの像)

サビエル記念聖堂から瑠璃光寺までは歩いて20分ほどです。県庁などが並ぶ官庁街ですが、とても静かで落ち着いた風情の街です。


やがて、瑠璃光寺の五重塔が見えてきました。この瑠璃光寺には、我が司馬遼太郎さんも訪れています。戦国時代、この地の大名であった大内氏の興亡にふれながら瑠璃光寺のことを書いています。(『街道をゆく1 甲州街道、長州路ほか』)

 (梅と五重塔 ちょっとボケすぎ)

五重塔の手前の池で三脚を立てて撮影する人達がいたので、カメラの先に目をやると、カワセミが木の枝にとまっていました。


私のカメラのレンズ(18~55)では限界があるのですが、トリミングをして…。見えますか?
 

雪舟庭にも行きたかったのですが、時雨てきたので湯田温泉にある旅館に向かうことにしました。けっこう寒い一日だったので、早くお湯に浸かりたいのもありました。

つづく。









東大寺のお水取りに行ってきました

2016-03-10 19:15:28 | 寺社めぐり
東大寺のお水取りは、正しくは「修二会(しゅにえ)」というそうです。3月1日から14日まで本行が行われます。(詳しくは、東大寺のHPなどで調べてくださいね)そして、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明りとして行われるのが「お松明」です。


お水取りには、以前から行ってみたかったのですが、大混雑をする話などを聞くたびに、二の足を踏んでしまっていました。ところが、「お松明」は、3月1日から14日まで毎夜おこなわれ、12日より前ならば、混み方も少しはましと聞いたので、出かけてみることにしました。


昨日は雨だったので、こんな日に来るのは、よっぽどの物好きだけやと思っていましたが、到着してみると広場は人であふれていました。それでも普通の日よりは空いていたのかもしれません?


「お松明」の写真を撮るのが目的だったのですが、到着したのは6時45分ごろだったので、いい場所は確保できませんでした。三脚は禁止なので手持ちでの撮影となりました。(もちろんフラッシュも禁止です)おまけに、雨なので傘をさしながら、片手での撮影です。ISOを思いっきり上げて、絞りを変えながら撮影しましたが、思った通りピンボケだらけの写真になってしまいました。(なんとかましな写真だけをアップしています)


午後7時になると、まわりのライトが消されました。鐘の音と共に松明がはじまりました。1本ずつ2~3分の間隔で舞台の上を移動します。思ったよりはゆっくりと動いていました。火の粉も思ったよりは落ちていませんでした。
昨日は、約20分間で10本の松明が上がりました。(12日と14日は違うようです)


写真を撮っているときは、あの木が邪魔になるなとか、松明がもっと速く走らないかなとか、自分勝手なことばかり思っていましたが、よくよく考えれば「お水取り」は、あくまで仏教行事で、我々はそれを見せていただいているのだということを忘れていました。「お松明」のショーを見に行っているのではありませんでした。深く反省するところです。


お水取りは、1200年以上続く厳かな行です。我が芭蕉さんも「水とりや 氷の僧の 沓(くつ)の音」と、ピーンと張りつめた空気感を読んでいます。

「お水取りが終わらないと春が来ない」と言われますが、間もなく本当の春がやって来そうですね。

※昨夜は、暗くてよくわかりませんでしたが、下の写真を撮ったのとほぼ同じあたりから撮影していたようです。こうして見ると、たしかに左の木が…。

東大寺お水取り(お松明)に行ってきました

2016-03-09 22:13:01 | 寺社めぐり
春を告げる行事、東大寺のお水取り(お松明)に行って来ました。
とりあえず、写真を2枚だけアップしました。




雨の中の撮影でした。またまたピンボケの山を築いてしまいました。
詳しくは、明日のブログに書きます。