はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

反対語

2015-10-07 14:58:15 | はがき随筆
 ふた昔も前、電車で遭遇した、みるからに教育ママと小学生の親子。母親が反対言葉の問題を出し、息子が答えるのを聞いて私もめいっ子に試したくなった。当時彼女は幼稚園児。
 「大きいの反対は?」「高いは?」などなど順調に答えていたが、「太いは?」に考え込んでしまった。やっと出た答えは「い・と・ふ」。私はすっかり驚いた。5歳にして「太い」が「ふ」「と」「い」という3音節で構成されていることを把握して逆さまに読めたのだ。私の驚きが彼女には理解できなかったが。今、めいは平凡な母親である。
  鹿児島市種子田真理 2015/10/7

防止帽子

2015-10-07 14:56:50 | はがき随筆


 手先が器用で、言葉遊びの得意な知人からうれしいプレゼントが届いた。手のひらに5個載るくらいの手編みのミニ帽子。以前私が転倒したうわさが伝わったらしく「転倒防止(帽子)として携帯してね」とのメッセージ付き。色とりどりの毛糸で編み上げて、可愛いリボンや鈴、小花などの飾り付き。携帯電話やバッグに下げて、すっかり私のマスコット。歩くと鈴がチリリと鳴り、子猫が帰って来たようで楽しい。
 知人の思いやりと機知に富んだ贈り物に感謝しながら、日々を安全に過ごしているこの頃です。
  鹿屋市 門倉キヨ子 2015/10/6 毎日新聞鹿児島版掲載


スクラム

2015-10-07 14:53:32 | ペン&ぺん


 イギリスで開催中のラグビー・ワールドカップで、南アフリカを相手にまさかの勝利を収めた日本代表。最大の見どころは試合終了間際、相手ペナルティーで得たチャンスで、キックではなくスクラムを選択したことではなかろうか。得点は29-32の点差。キックで3点が入れば同点だが、日本はあえてスクラムを選び、劇的な逆転トライで5点を挙げた。「同点じゃなく、勝ちに行くという気持ちだった」とリーチ主将は語っている。
 思い出したのが「死闘」とも呼ばれる1987年、関東大学対抗戦の早稲田ー明治戦。約8分間に及ぶロスタイムで、3点を追う明治は何度もペナルティーキックのチャンスを得るが、このときも明治はキックではなくスクラムを選んで早稲田を追い詰める。守る早稲田と攻める明治。グラウンドには雪が残り、テレビ画面には、選手の体からもうもうと立ち上がる湯気。重戦車といわれた明治のフォワードの攻撃をしのぎきった早稲田が勝ったが、今も語り伝えられる試合になった。
 日本代表でもう一つ思い出したのが、キックで勝利に貢献した五郎丸歩選手の母校、佐賀工業高校だ。佐賀支局で働いていた20年ほど前に何度も取材に通ったが、なにしろ佐賀県内では向かうところ敵なしで、県大会では100-0で勝つことも珍しくなかった。
 ところが覚えているのは、逆に佐賀工業に敗れたチームのとある場面。既に100点近い差がついているのにキャプテンが最終盤、選手を集めて気合いを入れた。「(ゲームは)今からだっ!」。敗退が見えているのに、このひと言で選手は奮いたった。このあたりが勝敗だけではない高校スポーツの楽しさだろうか。
 国内でもラグビーシーズンがやってくる。〝花園〟と呼ばれる高校の全国大会を目指した県予選も開幕間近。鹿児島でどんなドラマが見られるのか今から楽しみだ。
  鹿児島支局長 西貴晴
  

ミイばぁ

2015-10-07 14:49:40 | はがき随筆

 応接間のサッシのガラス戸を開ける。ウッドデッキに首をかしげた小さな猫が座り、大きな目でこちらを見上げている。
 向かい側の家が飼っている雌猫だ。ショートヘア風の柔らかな毛並みは、アンズ色に所々柿色が交じったシックな感じ。ただし顔の中心部は、鍋底の煤が付いたように黒い。そこに愛嬌があり、人間で言えば後期 高齢者の年齢なので、私と女房は「ミイばぁ」と呼ぶ。
 ミイはガラス戸が開くと、我が家の猫のえさ場所に静々と進む。食べ終わると、あいさつもせずに「自宅」に戻っていく。これが、最近の朝の日課だ。
  鹿児島市 高橋誠 2015/10/5 毎日新聞鹿児島版掲載

ぼくの昭和史8

2015-10-07 14:49:06 | はがき随筆
 小学生の頃、ラジオは唯一の娯楽。ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を聴くのが楽しみで、心躍る時間であった。逆境や理不尽に立ち向かう少年少女の姿を頭の中で組み立て、想像の世界を広げる。同様に徳川夢声が朗読する「宮本武蔵」や「西遊記」も想像力を膨らませてドキドキしながら聴いた。
 あの貧しい時代、情報と共に生活に潤いを与えてくれた。古橋の世界記録に歓喜し、湯川博士のノーベル賞受賞で自信を、そして、のど自慢で楽しさを味わった。雑音など気にならない。ラジオはそういうものだと思い込める時代であった。
  志布志市 若宮庸成 2015/10/4 毎日新聞鹿児島版掲載