私は昭和10年、寺の長男として生まれ、先月5日で傘寿を迎えた。終戦のときは国民学校4年生であった。戦中の思い出は敵機襲来の恐怖意外にあまりないが、戦後続いた耐乏生活だけは忘れられない。社会全体が窮乏し、我が家でも田畑を耕し、牛豚を飼い、農家同様の仕事をして生活を支え、5人の子どもの学資も出してくれた。両親の姿が今も脳裏に浮かぶ。
戦後70年。生活事情や社会の様相は変貌して、夢幻のごとしである。起伏に満ちた人生を80年も生きてきた。いくつか病気もしたが、今も寺の現役として門との方々とつながっている。
志布志市 一木法明 2015/10/10 毎日新聞鹿児島版掲載
戦後70年。生活事情や社会の様相は変貌して、夢幻のごとしである。起伏に満ちた人生を80年も生きてきた。いくつか病気もしたが、今も寺の現役として門との方々とつながっている。
志布志市 一木法明 2015/10/10 毎日新聞鹿児島版掲載