就職を考える頃「福岡の八幡製鉄所に行かんか」と父が言った。まめにいろいろと父なりに調べた末のことだったと思う。高校は畜産課で、商売がしたいとスーパー西友(肉関係)と決めて東京へ。父は「好きなことが一番」と送り出してくれた。
駅で見送りの時「3年はきばれよ」と。母は泣いたが、父は笑って手を振った。初めての帰郷は3年後だった。今なら飛行機で1.2時間、昔は「つばめ」で23時間、東京は遠かった。
石の上にも三年。大変な時、一度も逃げず苦境を楽しむ自分がいた。26年前だが、前だけを向いていた。父に感謝。
伊佐市 坂元佐津夫 2017/2/16 毎日新聞鹿児島版掲載
駅で見送りの時「3年はきばれよ」と。母は泣いたが、父は笑って手を振った。初めての帰郷は3年後だった。今なら飛行機で1.2時間、昔は「つばめ」で23時間、東京は遠かった。
石の上にも三年。大変な時、一度も逃げず苦境を楽しむ自分がいた。26年前だが、前だけを向いていた。父に感謝。
伊佐市 坂元佐津夫 2017/2/16 毎日新聞鹿児島版掲載