はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

16年の はがき随筆

2017-04-08 13:02:04 | はがき随筆
 2016年の鹿児島版「はがき随筆」の年間賞に、出水市中央町の宮路量温さん(70)の作品「回想」(1月20日掲載)が選ばれました。2013年の初投稿から4年足らずで投稿は46回、掲載は38作品に上る。宮路さんは「今や作品づくりが生活の一部になっている。これからも元気な間は月1回の投稿を続けたい」と話している。【西貴晴】

年間賞に宮路さん

感謝の気持ち作品に込め

 宮路さんは出水市出身。長らく地元の土地改良区に勤めた。ある日、原稿用紙を手にした2歳上の姉から「ぼけ防止になるかも」と勧められたのが投稿のきっかけ。「孫自慢」と題した初投稿が紙面を飾った。
 以降、紙面に掲載されるはがき随筆はすべてスクラップ。「ああ、こんな見方もあるんだ」と自分以外の作品を〝教科書〟代わりに作品づくりを学んだ。選者の石田忠彦さんの月間賞選評も熟読する。投稿前には妻(64)にも意見を求め、分かりやすい表現に直したり、漢字を平仮名に替えたり。「そういう意味では妻も作品づくりに参加しています」
 受賞作品は、約1年半前に99歳で亡くなった父の四十九日を終え、曾木の滝温泉(伊佐市)に妻と出かけたときの出来事を書いた。父は認知症の母の介護を一人で続け、母を先に送って11年後に逝った。母へ、そして父への感謝の気持ちを作品に込めた。
 最初にテーマやタイトルを考えるのが宮路さんのスタイル。いったん原稿用紙に作品を書いた後、実際の投稿まで1.2週間かけて推敲する。孫を題材にした作品も多く、宮路さんは「自分の作品が活字になって残る。私が死んだ後、孫に『いい作品を残してくれてありがとう』と言ってもらえるよう書き続けたい」と語る。
  ◇ ◇
 鹿児島版を含む九州・山口各地区の年間賞13点の中から選ぶ毎日はがき随筆大賞1点などの発表・表彰式は5月27日午前11時~午後2時、北九州市小倉北区馬借、ホテルクラウンパレス小倉で開かれる。問い合わせは毎日新聞西部本社販売開発部「はがき随筆大賞事務局」(096・541・8271)。

無理なくまとまる文章
選評
 例年のとおり月間賞の中から、宮路量温さんの「回想」、塩田幸弘さん「ミルク」、山下秀雄さん「アジサイ」、口町円子さん「変わりました」の4編をまず選び、その中から年間賞を決めました。
 「ミルク」は、地震の揺れ、娘や孫の心配、ミルク不足、他の赤ちゃんへの思いやりなど温かい文章です。「アジサイ」はアジサイの美しさに、かつての若い女性との心の交流が淡く思い出される内容です。「変わりました」は、料理鋏を毛嫌いしていたが、いつのまにやら使うようになったという内容で、軽妙な味のある文章です。ただ、いずれもやや一本調子だという印象をもちました。
 「回想」は、父の四十九日に、温泉で父のことを思い出していたら、湯煙の中に父に似た骨格の人を見かけたという文章です。少ない字数の中に、挑戦から引き揚げた両親の苦労、母の老化、父の母への献身、自分の親孝行への悔いなどの多くの内容が、無理なくまとめられているところを評価しました。
鹿児島大学名誉教授 石田忠彦

慰霊の旅で

2017-04-08 11:47:45 | はがき随筆
 戸籍には父はセレベス島で戦死とあるが、今回ダバオで戦傷死と分かり、フィリピン慰霊友好親善訪問の旅に参加した。
 私たちD班は14名で7日間の旅を共に過ごした。遺児の私たちは戦後を貧しく過ごした人ばかりで、すぐに打ち解けた。
 ダバオのタモガンで最後の慰霊を行ったときのこと。急ごしらえの祭壇の前で該当者の遺児が父への作文を読むのだが、新潟から参加のOさんが、お父さんと呼びかけて、後は嗚咽となってほとんど読めない。隣の女性の遺児が優しく背中をさすってあげる。後方の私は見ていて涙が止まらなかった。
  霧島市 秋峯いくよ 2017/4/8 毎日新聞鹿児島版掲載

吾子の名は絢子

2017-04-08 11:39:20 | はがき随筆
 次男がようやく父親になった。息子夫婦はヨルダンで暮らしているが、嫁は昨年のうちに帰ってきていた。息子は出産に合わせて休暇を取って帰国し嫁の実家に向かい泊り込んだ。
 2月22日早朝より、入院した、分娩室に入った、と次々息子のメールが届く。生まれるとそのまま産院に泊まり込み。夫は「時代が変わった」と嘆息。
 数日後、赤ちゃんに会いに行った。名前は、と聞くと絢子。アラビア語でアヤは奇跡という意味で、絢の字の意味も良かったと紅潮した顔で解説。半月後、まさに後ろ髪を引かれる思いで、息子は戻って行った。
  出水市 清水昌子 2017/4/7 毎日新聞鹿児島版掲載

竹が鳴く

2017-04-08 11:27:40 | はがき随筆


 生まれ育った忘れがたき故郷、大隅の村に帰った。昔と変わらぬ山や川、かつて五十数軒にぎわった集落に人の姿はなく、生活の音はきこえない。冬の昼下がり、思い出の道を散策する。無人の家がそこかしこ。鶏や牛馬の鳴き声を子守歌に、一つの布団に兄弟で寝た子供の頃。家族総出の田植え、芋取り、村祭り、豊作相撲の歓声。先人たちが残した風光明媚な棚田。日本の原風景だった村が消えていく。皆どこに行ってしまったのか。時折吹く風に山のかなたから竹の鳴く音がきこえてくる。目をとじると竹の泣く音に聞こえてならない。
  指宿市 有村好一 2017/4/6 毎日新聞鹿児島版掲載

助手席こもごも

2017-04-08 11:19:38 | はがき随筆
 「左小回り、右大回り」。カーブにさしかかると声がかかる。バイクをよけようと右に出ると「サイドミラー見た?」とくる。妹の言葉には無駄がない。
 息子の場合、座席の背を倒して眠りはじめた。大物なのか自己責任作戦か。娘のときは道を間違っても「戻ればいいんじゃない? どっかで」と事も無げに言う。夫から指摘されると未熟さがあらわになって逆ギレしそうになるが、別件に飛び火せぬよう早めに「わかりました」というようにしいてる。運転デビューのドライバーを横目に見ながら、エア教習官をいつも乗せててねと思う春先である。
  鹿児島市 下池かおり 2017/4/5 毎日新聞鹿児島版掲載