「この所でな……」とよくしみじみ言われていた。煙吐く汽車の頃。故郷の街並みが見えなくなるのが、鉄橋の先の緩やかなカーブ。社長20歳。新婚1週間後の出征時、「もう二度と見られぬか」と涙でかすんだという。戦後、運良くシベリアから生還。一念発起し一代で1000人を超える企業を築き上げた。その晩年に私は秘書としてよく出張にお供した。特急つばめの車内で「戦争ってのはな……」と繰り返し教えられた。九州新幹線の今、もう通らぬ鉄橋。「社長これからどのように語り継げばよいのでしょうか」。見下ろす川のせせらぎは速い。
出水市 山下秀雄 2017/11/2 毎日新聞鹿児島版掲載
出水市 山下秀雄 2017/11/2 毎日新聞鹿児島版掲載