はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

今年の桜

2007-03-26 22:31:04 | はがき随筆
 東京都心部に続いて福岡市でも(ソメイヨシノ)が開花した。例年なら南から咲き、開花が北上してゆくのだが、今年は違う。福岡管区気象台の開花予想では、九州南部での開花が本州や九州北部よりも遅く、鹿児島の開花は31日になっている。平年より5日、昨年より11日も遅い。
 桜がもてはやされ出したのは平安時代ごろからだそうだ。それまでは桜より梅の方に人気があり万葉集には桜より梅を詠み込んだ歌が多い。これが、桜の花びらの潔い散りように関心が集まり、台頭してきた武士にも好まれるようになったらしい。
 桜が大好きでたまらない人が「平家物語」に登場している。桜町の中納言成範卿(しげのりのきょう)。「桜町の」が名の前に付くところからして面白い。ことのほか風流を好み、吉野山をあこがれて付近に桜を植え並べ、その中に家を建てたという。そこで一帯を「桜町」と言うようになった。
 さらに「桜は咲いて7日目には散ってしまうが、成範卿が名残を惜しんで天照大神に祈ったところ21日間も咲いていた。当時の帝が賢君でもあったので、神も恵みを発揮して、桜花にも心があったのだろう」とある。
 また、平清盛の末弟、薩摩守忠度(さつまのかみただのり)。無賃乗車の事を「さつまのかみ」と言うのは、この名前に由来しているとか。本人も、このような形で後世に名前が使われていると知ったら残念であろう。
 平家物語では武士と言うより、歌人として印象深く描かれている。都落ちの際に残した歌の一つ、「さざ波や志賀の都はあれにしを 昔ながらの山ざくらかな」を紹介している。やはり桜を歌い込んでいる。
 時代は下って江戸時代の浄瑠璃、仮名手本忠臣蔵で、武士の由良助が商人の義の厚さに平伏して「花は桜木、人は武士と申せども、いっかないっかな武士も及ばぬ御所存」と述べる場面がある。武士は体面ばかりを取りつくろうようになり、桜の清らかさ潔さには到底及ばないと批判していると受け取れる。
 さて今年の桜。ナントカ還元水の大臣も花見はするのだろうか。「花は桜木。いっかないっかな政治家も及ばぬ御所存」。そろそろ潔さを見せてほしい。
 支局近くの甲突き川沿いの桜は日々、蕾が大きくなっている。どんな風情を見せてくれるのか楽しみだ。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 2007/3/26 毎日新聞鹿児島県版掲載

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