ピアノ教室の発表会に出かけた。2歳ぐらいの幼い娘連れの母親の先生が、教室の4歳の生徒の出番の補佐のため、娘を1人ぼっちにした。赤いチョッキの幼い娘は泣き出した。すぐ、母を追い舞台の近くで、習慣になっていたのか、母と掌を合わせパンと打った。安心したのか、その娘は自分の席に着き、舞台のピアノの椅子を調節している母を見つけ「ママー」と叫んだ。
終戦の混乱時、2歳のころの私は、熱が出て頭が痛かった。母はどこで見つけたのか、スイカの甘い汁を飲ませた。母の温もりは、世界の全てだった。
出水市大野原 小村 忍(63) 2006/5/29 掲載 特集版-1
終戦の混乱時、2歳のころの私は、熱が出て頭が痛かった。母はどこで見つけたのか、スイカの甘い汁を飲ませた。母の温もりは、世界の全てだった。
出水市大野原 小村 忍(63) 2006/5/29 掲載 特集版-1
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