2年前、過疎の集落にお嫁さんがきた。しかもフィリピンから。高齢化の進む集落にフィリピン語はもちろん、英語を話す人もいない。養母は生粋の鹿児島県人。言葉の不自由を乗り越えるのは大変だったと思う。
今年の2月、義母の介護から解放されたのか、ウオーキングの途中で会うことが多くなった。人手不足の我が工場に誘って「チョット見るダケネ」となったのが6月。生まれながらの器用さから仕事量はトップに。高齢の従業員とはゼスチャーと義母からの伝授のカゴっマ弁。互いに頭をかしげかしげの脳トレ中。笑いがたえない。
鹿児島県阿久根市 的場豊子(72) 2018/9/6 毎日新聞鹿児島版掲載
今年の2月、義母の介護から解放されたのか、ウオーキングの途中で会うことが多くなった。人手不足の我が工場に誘って「チョット見るダケネ」となったのが6月。生まれながらの器用さから仕事量はトップに。高齢の従業員とはゼスチャーと義母からの伝授のカゴっマ弁。互いに頭をかしげかしげの脳トレ中。笑いがたえない。
鹿児島県阿久根市 的場豊子(72) 2018/9/6 毎日新聞鹿児島版掲載
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