明治末生まれの母の名はナヘだった。40代に姓名判断をしてもらい「萎えるに通じ悪い。郁代がよいと告げられた」と、79歳で死ぬまで郁代を通そうとした。親の付けた名が嫌だったのだろうかと疑問に思っていた。その後、沖縄・奄美の言語を研究していたS教授にこの話をした。すると「沖縄の士族の子には台所に関する名を付ける習わしがあり、ナヘはナベのことでいい名ですよ」教えていただいた。そう言えば、母の看護士免状の氏名の上に士族とあったのを思い出した。母はこの習わしを知らなかったのだ。今はただ、哀れでならない。
薩摩川内市 森孝子 2013/3/1 毎日新聞鹿児島版掲載
薩摩川内市 森孝子 2013/3/1 毎日新聞鹿児島版掲載
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