4月、昨年退職の先輩から頂いた茗荷の芽が出た。
たった1本の芽に毎朝「よく出て来たな」と話し掛けながら喜んだ。1週間もするとさらに2本。「寂しくなくてよかったなあ」と話し掛けるとやがて6本に増えた。小猫の額ほどの庭の椿の木の下である。
好きな人には「名」は「何」の如く自分の名前を忘れるくらい美味いと言われる。冷や奴や素麺、味噌汁の薬味としてなくてはならない存在である。
先輩は私にとって薬味のような存在でもある。さりげなく的を得て、明日にはあっさりと忘れているという人柄である。
宮崎市 杉田茂延 2018/4/26 毎日新聞鹿児島版掲載
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