私が高二の時、祖父母宅に下宿して汽車通学。時折休日に両親の居住地に帰り、宿泊した。ある夜、晩酌中の父が教職での心中を吐露。「おれは人にげいごして生きたくない」と。
その時は特に気にならず、父の死後、26年たち「げいご」が私の心に。辞典では迎合だった。意味は相手に気遣い自分の意志を曲げて調子を合わせる事と。几帳面な父は、仕事の出張帰りバス停で下車。田舎道を脇目もせず一直線に歩き、田畑で働く人にあいさつなしとの批判が。機嫌取りや冗談を飛ばす父ではなかった。恩恵を受けた実子6人。70歳を超え遺影に合掌。
鹿児島県肝付町 鳥取部京子(81) 2021/5/29 毎日新聞鹿児島版掲載
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