大都会の横断歩道の人波も、満員電車の乗客もみんなみんなマスク姿。異様な光景に戦争末期の恐怖がよみがえった。
外出する時は、家々で手作りした防空頭巾と救急袋を肩に斜めがけしていた。古里は田園地帯で目立つ建物は少なく学校や駅舎が空襲の標的になった。警戒警報が間に合わなくなり即、空襲警報のサイレンが鳴り響くときには、グラマン戦闘機が頭上まで下りていた。
秋の収穫を祈り、子どもたちの遊び場だったお宮の境内に掘られた防空壕の泥壁にも、機銃掃射が撃ち込まれるようになった夏。やっと戦争は終わった。
熊本市東区 黒田あや子(87) 2020/4/8 毎日新聞鹿児島版掲載
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