はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

泣いたトロンボーン

2011-08-14 21:47:12 | はがき随筆
 50年前、出水駅で演奏した米ノ津中学校の「蛍の光」は音程が外れていました。ボストンバッグに丸刈り、おさげ髪が今でも目に焼き付いています。既に満席に近い集団就職列車が着くと、それまでの談笑がピタリとやんで「母ちゃあん」と悲しい泣き声に変わりました。汽笛が鳴り列車が動き出すと、私のトロンボーンも泣きだして音が外れました。
 「関門トンネルを抜けるまですすり泣きが続いた」と先輩から後年聞きました。
 帰省の時季になると、今の日本の豊かさを築かれた、あの日の先輩方の顔を思い出します。
   出水市 塩田幸弘  2011/8/10 毎日新聞鹿児島版掲載

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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
栄子さま ようこそ (アカショウビン)
2011-08-23 14:38:22
コメント有り難うございます。
これからもよろしくお願いいたします。
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関門トンネル (出水市出身 栄子)
2011-08-23 10:16:14
関門トンネル『まさに、そのとおりです』

昭和31年、同郷の主人と見合結婚して名古屋まで向かいました。

出水駅を出発したものの、不安と淋しさで客席に座ることも出来ず、デッキに立ったり列車の最後尾に行ったりしました。

出水を出たことがない私は関門トンネルが海の下にあると聞いて恐怖感でいっぱいでした。

関門トンネルを抜けた途端、不安も淋しさも小さくなり、やっと席に座ることが出来ました。

当時の九州の人には関門トンネルは、人生の関門だったのかも知れません。
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田丸さま ようこそ (アカショウビン)
2011-08-20 09:36:57
はがき随筆ブログにお越しいただき
有り難うございます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
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団塊の世代は大変  (広島県 田丸)
2011-08-19 17:10:42
 私は、集団就職の見送りをした経験がありません。先輩や同級生のほとんどが高校へ進学したと思います。そんな中で、マツダ(東洋工業)の職業訓練専門学校へ行ったクラスメイトがいました。再会は、45年経った還暦を祝う会でした。何かの話の中で「ワシらあサバイバルじゃつたのう」という話に、彼が深くうなづいたのが印象に残っています。                私達団塊の世代は、多かれ少なかれそういう経験をして今日に至っていると思います。義務教育を終え、親元を離れて、郷里から遠い阪神・京浜への就職は、子供心にも大きな決断が有ったのだと思います。                 受験戦争・就職戦争といった社会現象もこの頃からではなかったでしょうか。         私も例外でなく、退職してたくさんの自由時間が持てましたが、これといった趣味も特技もなく、今まで生活するのに精一杯だったとの思いから自分探しに細川 巌 先生の嘆異抄講議録を勉強しました。一回読み終え、今二回目ですがスピード出ません。                楽器は、心のよりどころになると思います。すすり泣きのトロンボーンを、今度は思い切り泣かせてやってはどうでしょうか。ちなみに私の女房はピアノに挑戦しています。   
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コメント有り難うございます。 (アカショウビン)
2011-08-18 08:13:29
お孫さま
はがき随筆ブログにようこそ。
いつもお読みいただき有り難うございます。
これからもよろしくお願いいたします。
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新聞 ()
2011-08-17 09:16:51
じいじも新聞にのれたねえ
おめでとう
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青春の夢 「トランペット」 (匿名 (亀))
2011-08-16 17:55:53
就職列車の見送りに私もブラスバンドの
一員として一緒にいました。
私の青春の夢の一つである「トランペット」を
一生懸命ほおを膨らませて一生懸命吹きました。
今にして思えば(鶴)は、周りをよく見ていた
のですね。
私は、ブラスバンドが上手でない演奏をしている
のだけは分かりました。
私は、中学時代以来、楽器を手にしていません。
夢多き時代の良い思いででした。
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