永長貞夫氏の私家版「沖縄戦生還記」をご遺族から頂いて読んだ。満州で徴兵され門司から南方へ向かう。途中、左舷に故郷米ノ津の矢筈岳を見、ひそから現在地と進路を知る。沖縄では塹壕堀りの毎日。米軍上陸後は遭遇戦となり、前進した隊が全滅するかと思えば、とどまった隊が全滅する。生は執着の対象ですらなく、わずかのすき間に結果としてだけ残る。
絶叫もなければ告発もない、抑制の利いた言葉が、孫に語り継ぐためにつづられている。
氏は50年前、私の担任だった。今思い起こせば、このことを語ることは一度もなかった。
出水市 花園勝政(65) 2008/3/29 毎日新聞鹿児島版掲載
写真は桜香(さくらこ)さんからお借りしました。
絶叫もなければ告発もない、抑制の利いた言葉が、孫に語り継ぐためにつづられている。
氏は50年前、私の担任だった。今思い起こせば、このことを語ることは一度もなかった。
出水市 花園勝政(65) 2008/3/29 毎日新聞鹿児島版掲載
写真は桜香(さくらこ)さんからお借りしました。
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