戸籍には父はセレベス島で戦死とあるが、今回ダバオで戦傷死と分かり、フィリピン慰霊友好親善訪問の旅に参加した。
私たちD班は14名で7日間の旅を共に過ごした。遺児の私たちは戦後を貧しく過ごした人ばかりで、すぐに打ち解けた。
ダバオのタモガンで最後の慰霊を行ったときのこと。急ごしらえの祭壇の前で該当者の遺児が父への作文を読むのだが、新潟から参加のOさんが、お父さんと呼びかけて、後は嗚咽となってほとんど読めない。隣の女性の遺児が優しく背中をさすってあげる。後方の私は見ていて涙が止まらなかった。
霧島市 秋峯いくよ 2017/4/8 毎日新聞鹿児島版掲載
私たちD班は14名で7日間の旅を共に過ごした。遺児の私たちは戦後を貧しく過ごした人ばかりで、すぐに打ち解けた。
ダバオのタモガンで最後の慰霊を行ったときのこと。急ごしらえの祭壇の前で該当者の遺児が父への作文を読むのだが、新潟から参加のOさんが、お父さんと呼びかけて、後は嗚咽となってほとんど読めない。隣の女性の遺児が優しく背中をさすってあげる。後方の私は見ていて涙が止まらなかった。
霧島市 秋峯いくよ 2017/4/8 毎日新聞鹿児島版掲載
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