セピア色した1通の手紙が出てきた。五十数年前の4月、私が福岡から母に宛てたもので、大学の寮の様子を伝えている。
寮は旧制高校からの古い建物でかなり傷んでいた。窓ガラスは破れ、廊下には穴が開き、12畳の部屋はごみとほこりに埋もれていた。部屋の隅々に6人の住人が陣取り、夜は2階から寮雨(小便)が降り注いだ。
同室者が腹痛になり、往診を頼むと、医者は「よくこんな所に住んでいる」とあきれていた。みんな貧しく、トイレの壁に愛や恋の思いを落書きし、友人と夜を明かして、人生を論じた。
1年後、寮は取り壊された。
田中健一郎 鹿児島市 2013/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載
寮は旧制高校からの古い建物でかなり傷んでいた。窓ガラスは破れ、廊下には穴が開き、12畳の部屋はごみとほこりに埋もれていた。部屋の隅々に6人の住人が陣取り、夜は2階から寮雨(小便)が降り注いだ。
同室者が腹痛になり、往診を頼むと、医者は「よくこんな所に住んでいる」とあきれていた。みんな貧しく、トイレの壁に愛や恋の思いを落書きし、友人と夜を明かして、人生を論じた。
1年後、寮は取り壊された。
田中健一郎 鹿児島市 2013/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載
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