2月15日
九州自動車道北インター近くの高架橋の下に、車の行列を見る田の神さあが居られる。風化を続ける永遠の微笑、汚れた野菊の供花がわびしい。
この付近、1960年代には甲突川の水利を得て、夏は植田から青田、秋は実りの黄金色、冬は刈田、稲架の風情が、田の神さあの視界を満たしていた。
いま、豊かな水田のかけらも見あたらない、すごい変ぼうだ。
あの懐かしい風情は再び帰って来ない。田の神さあは、何を思っているだろうか。排気ガスと振動にとまどっているのかも。
鹿児島市伊敷 福元 啓刀(76)
九州自動車道北インター近くの高架橋の下に、車の行列を見る田の神さあが居られる。風化を続ける永遠の微笑、汚れた野菊の供花がわびしい。
この付近、1960年代には甲突川の水利を得て、夏は植田から青田、秋は実りの黄金色、冬は刈田、稲架の風情が、田の神さあの視界を満たしていた。
いま、豊かな水田のかけらも見あたらない、すごい変ぼうだ。
あの懐かしい風情は再び帰って来ない。田の神さあは、何を思っているだろうか。排気ガスと振動にとまどっているのかも。
鹿児島市伊敷 福元 啓刀(76)