ふと、足をとめさせた庭の紫の花。
私は、幼時、爆弾の穴が残る出水の飛行場跡近くに住んでいた。跡地の荒れ畑に同じ小花が咲いていた。
ニワゼキシヨウという名だった。小さい星に似た可憐な花だ。
花と共に、農家の厚意により、同じ地の芋とり後の畑で、唐芋の屑拾いをしてリヤカーを引く父母の手伝いをした、よちよちしていた思い出が浮かぶ。終戦間もない私の3~4歳頃は、食糧難の時代だったのだろう。
やがて、父母の年忌が来る。芋拾いとニワゼキショウの花が、重なって甦る日の記憶は、どこか悲しい。
出水市 小村 忍(64) 2007/6/29 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はparusさんからお借りしました。
私は、幼時、爆弾の穴が残る出水の飛行場跡近くに住んでいた。跡地の荒れ畑に同じ小花が咲いていた。
ニワゼキシヨウという名だった。小さい星に似た可憐な花だ。
花と共に、農家の厚意により、同じ地の芋とり後の畑で、唐芋の屑拾いをしてリヤカーを引く父母の手伝いをした、よちよちしていた思い出が浮かぶ。終戦間もない私の3~4歳頃は、食糧難の時代だったのだろう。
やがて、父母の年忌が来る。芋拾いとニワゼキショウの花が、重なって甦る日の記憶は、どこか悲しい。
出水市 小村 忍(64) 2007/6/29 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はparusさんからお借りしました。
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