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「股関節重心」と「お灸セルフケア」でコリ・痛みの無い身体に

コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん〜鍛錬の過程的構造〜

2016-12-01 08:58:22 | 日記
「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という諺がある、が鍛錬の過程的構造を考える場合は……。

高齢者の転倒、事故というものを考えると、常識的には、「対象の構造を無視して、やってはいけないこと出来ないことをするから」ということであるし、人間であるからの事故である、と思える。

しかしながら、ここを過程的にその構造に立ち入って、空手の例で考えてみるならば、板を割るのに板を割る訓練しかして来なかったからの、であるということが視えてくる。まして板を割る訓練しかして来なかったのに、煉瓦を割るはめになったら、ということでもある。

本当は、板を割るのに、煉瓦を割る訓練をして行かねばならない。そういう訓練をしてこそあたり前のように、板が割れるし、万が一煉瓦を割るはめになったとしても何の問題もない、ということになる。ここは、煉瓦を割る可能性があるのならば、煉瓦プラスαを割る訓練をして行けばもっといいのだろうが……。(これは南郷先生が常に説いてくださっていることでもある、と思う。)

そういう意味で「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」という諺は、鍛錬の過程的構造としては誤りである、と思う。鶏を裂く為には、牛刀を充分に扱えるだけの鍛錬が必要なのだ、と思う。

このことは、40代以降、衰えていくことが通常となっていく時期にこそ!と思う。

今朝の打撲部位の状態。押さえると僅かな痛みがあるが、ほとんど腫れは引いている。
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