今年も余すところあと1日、運動の問題になんとしても、一区切りつけてと思う。
焦って、やたらめったら書いて行っても仕方がないので、まずは原点に帰って、何故に「人間はいかに運動すべきか」を書こうと思ったのか、あたりから。
ここは直接的な事実としては、7年ほど前に傷めた膝が治りきらず、治療しては痛みが止まり、運動して調子が上がってくると再び痛むを繰り返し、やがては軽い膝の変形にまで至っていたものが、今春、「股関節重心」(レグルス)に出会って、それを実践することで、劇的な改善が見られ、現在、完治と言っていいところまで来ている。それゆえに、そこを事実としてのみならず、論理として残しておきたいとの思いからの、「人間はいかに運動すべきか」を書こう、であった。
また、その自身の実践の事実から、自身の患者に対しての施術としても、それは同様の効果があるのだろう、との思いを持っての、実践を行っていくことで、これまで手に負えなかった問題(膝痛、腰痛、肩こり......)の解決の目処が立ったとの思いからの、そのことで自身の施術の構造(構想というべきか?)が大きく変わったからの、これまでの自身の施術は全て対象療法、鍼灸・東洋医学的に言えば標治でしかなかったということがわかったからの、本治の問題としてもここを書いておきたい、というものでもあった。
以上は、要するに、「膝痛」というものの生成・発展・衰退・消滅を知識としてだけではなしに、実際に自身が「膝痛」になってみての(化体しての?)生成・発展・衰退・消滅していって見ての、であるからの諸々のことが見えてきた。ということではないのだろうかと思える。
そこで、「「絶対精神」の自己運動としての病気の開花過程そして発展過程」(南郷継正)を「膝痛」の問題として、来年は書いてみようと思う。
来年もよろしくお願いいたします。良いお年を。