気血津液の病とは、一般的には、気血津液の流れの異常から病へであり、その結果としての臓腑、器官、組織等の病んで行くことである。これは、河の流れとその河の流れで潤される河岸の田畑、農作物をイメージしていただければ理解しやすいかと思う。
気血津液の病とは、一般的には流れの異常から病への過程とその結果としての臓腑、器官、組織等の病んで行くことであるが、構造的には二つある。一つは気血津液の(量的なある . . . 本文を読む
「2)気・血・津液の病理と病証」では、まず総論的に、「気血津液」(=気の類。であるので以後「気の類」と表記する。)と「臓腑、器官、組織」(=形の類。であるので以後「形の類」と表記する。)との区別と連関が説かれる。加えて、そこに病が如何に関わっていくのかが、三者の区別と連関が説かれる。
具体的には、「気の類」は人体を構成する基本物質であり、「形の類」が生理活動を行うための基礎である。とともに「 . . . 本文を読む
万年筆の書き味を調整していただいた。全ては一を実感した。
昨日、ナガサワ文具店で万年筆の調整をしていただいた。「新しく購入した万年筆の書き味が、自身の好みの旧い万年筆よりやや硬いので、なんとかならないか?」という、ある意味無茶な注文であった。
それに対して、二本の万年筆のインクの出具合を確認して、「書き比べると、新しい方はインクフローが少ない。インクフローが悪いとその分、無意識に筆圧を高 . . . 本文を読む
ガングリオンの治療に灸。効いたと思える。
自身の左手首のガングリオン、偶然?にも太淵の位置にある、に春頃に灸治療(透熱灸で、一回に米粒大の艾柱3荘を2日にわたって行い、水疱が治った時点で再度、米粒大の艾柱3荘を一回)を行ったのだが、それ以来、再発していない。
このガングリオン、7年くらい前に初めて出来た。
当時、ネットで調べてみると、医者の治療は注射器で内容物を抜くかオペで、オペで切除しても . . . 本文を読む
木登りの意義。出来ないことを出来る様に頑張ることによる脳細胞の実力を培うことである。と思える。
季節が秋から冬へと変わっていくのにともなって、木登りすることが困難になって来ている。
具体的には、気温が下がると共に、自身の掌、足裏が乾燥して滑り易くなり、同時に木の幹も乾燥して滑り易くなるという二重の滑り易さで、木に登ろうにも、滑って登れない、必死にしがみついても、自身の実力では1~2秒間留まるの . . . 本文を読む
「旧・東概」のまとめ、の方向転換について。
これまでは、「筆者は何を言いたいのか?」ということをしっかりと押さえておきたい。との思いから、「旧・東概」を、書かれている言葉をしっかりと追っていくことでまとめていくというのが主で、「こういうことを言いたいのではなかろうか?」という部分については、コメント的に、従的に書いた。つもりである。
が、今後は、「筆者は何を言いたいのか?」は、もちろん押 . . . 本文を読む
「南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二巻」(現代社)読み返している。弁証術とはなにか。弁証術とは弁証法にとって如何なる意義を持つのか、持たせるべきなのか。が、朧げながらではあるが、漸くにイメージ出来た。と思える。
また、そのことで、弁証法の過程的構造である。と思う、新旧二つの弁証法。ということも、イメージ出来て行けそうに思う。
昨日は、「南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第二巻」の第二部 . . . 本文を読む
昨夜の経絡経穴概論。五要穴(原穴、郄穴、絡穴、募穴、兪穴)と手の太陰肺経(名称、取穴部位、その他)であった。
今日の灸実技。胃の六灸(左右の隔兪、肝兪、脾兪)への灸。八分灸で一穴に一荘ずつ5回。
「旧・東概」のまとめ。全体の構成としては、全く正当である。と思うので、少し形式を変え続行することとした。 . . . 本文を読む
「旧・東概」のまとめ。そのあり方を再検討すべき、と考えている。
9月の前期試験後の休暇を利用して、東洋医学の全体像を大雑把にでも描いておこう。と始めた「旧・東概」のまとめ、未だ終わりが見えない状態で、年内どころか来春までに終われるか?という状態である。
自身の実力の幼さもある。には違い無いのだが、第1章、第2章と進んで来て、第3章に入ってから、「?」と思うことが増えて来て、「病理と病証」の項に . . . 本文を読む
「気の病理と病証」のまとめ行っている。筆者の像を捉えることの難しさ、大事性痛感する。
「旧・東概」のまとめ、再開し「気の病理と病証」のまとめ行っている。が、筆者のアタマの中の像を、「いったい何を言いたいのか?」を捉えかねている。
言葉としての要約であるのならば、それほどの困難では無いのだが、筆者が「いったい何を言いたいのか?」を書いていくことは、自身の実力からすると、大変難しい。
し . . . 本文を読む
simカードの速度制限時の通信速度について、今朝ブログを書いたのだが、Mbps→Kbpsの単位の変換に錯誤があったのでアップした記事を削除した。認識とは問いかけ的反映である。を実感した。
昨夜の通信速度計測アプリによるダウンロードの測定値は、0.05Mbpsであったから50Kbpsということになる。にもかかわらず500Kbpsと思いこんでしまっていた。という像として描いてしまっていた。(M . . . 本文を読む
『私が最近弱っているのは 毎日「なんとなく」 食べているからかもしれない』の新聞広告に、「カレーをフォークで食べると、新しいおいしさに震える」とあった。人間にかかわることの認識論的な捉え返しの大事性実感する。
朝日新聞朝刊で、『私が最近弱っているのは 毎日「なんとなく」 食べているからかもしれない』(小倉朋子著 文響社)という本の新聞広告が目に止まり、<食>に関わることは何であれ興味があるの . . . 本文を読む
simカードによるネット接続。それなりに日にちが経過したので、現状の報告を。
通信速度について。アプリで測定したところntt光のwifi経由での接続速度は8〜10mbpsで、simカードは2〜5mbpsであった。測定値では倍以上も違うが、実感としては大差ない。かつ、夜や休日のntt光の混み合う時には、かえってsimカードが速かったりもする。と思う。
自身の使用状 . . . 本文を読む
「唯物論の歴史」読み始めた。トマス・アキュナスの学の体系の過程的構造のあり方に、東洋医学の学びの指針得たとの思いする。
この連休は、まとまった時間が取れるので、また経穴の暗記も一区切りつき12月上旬の生理学等を含んでの実力テストまでは少しあるので、読もうと思って読めなかった何冊かの本を読み始めた。
その中の一冊、「唯物論の歴史」(西本一夫著 新日本新書)でトマス・アキュナスの学の体系の過 . . . 本文を読む