今年も余すところあと1日、運動の問題になんとしても、一区切りつけてと思う。 焦って、やたらめったら書いて行っても仕方がないので、まずは原点に帰って、何故に「人間はいかに運動すべきか」を書こうと思ったのか、あたりから。 ここは直接的な事実としては、7年ほど前に傷めた膝が治りきらず、治療しては痛みが止まり、運動して調子が上がってくると再び痛むを繰り返し、やがては軽い膝の変形にまで至っていたものが、今 . . . 本文を読む
クラゲ体としての眠る。ゆらゆらと全身を揺さぶるイメージで実践していたけれども、コリ・コワバリが全身レベルでそれなりに強く、あちこちにとなると、なかなかに解れて行かない。そこで、上体と下体を分けて行うと、ずいぶんとほぐれやすく思えた。 より具体的には、上体あるいは下体を固定での、ゆらゆらという動き。これはクラゲ体というよりも、カイメン体としての、かもしれない。 そう思えて、地面に固着してゆらゆらと . . . 本文を読む
眠るということを、<生命の歴史>の(単細胞体から)クラゲ体までの時代の繰り返しと捉え返すと、これまで見えていなかったものが見えてくる。そういうことが、本質をとらえることの意義であると思える。 一昨日のバドミントンの試合、2週間ぶりぐらいの、しっかりと走り回るということであったので、筋肉痛とまでは行かないけれども、肩、肘、腰、膝等に、要するに . . . 本文を読む
睡眠について、それは単細胞体の時代だけではなしに、(カイメン体から)クラゲ体の時代までを含んでの、繰り返しなのであろう、と思える。(寝ている間の寝返りが必須であるのは、そういうことなのだと。)(昨日からの続き) さて、自身は「股関節重心」(レグルス)に出会うまでは、人間体は四足体を言わ . . . 本文を読む
自身の昔からの悪い癖で、何か一つ成果・結果が出ると、そこまではそれなりに辛抱強く頑張るのに、そこで一休みしようと、のんびりしたことを考えてしまう。 しかしながら、何事も移りゆくのが世の常。「いつまでも あると思うな 親と金」である。 来年もまたブログを書いていられるとも限らないのであるから、年内には、運動の問題をアバウトにであっても説きり、食・睡眠・運動という生活の整えの3大構造と . . . 本文を読む
牛肉の薬食いについて。その効果、劇的であるけれども、諸刃の剣との思いがする。 数日前のブログ記事で、「薬食い」であると捉えて久しぶりに牛肉を食べた。と書いたけれども、その後、「薬」レベルの身体の変化があったので、そのことに関わって書いておきたい。 事実的端的には、手の荒れ(ここ10年くらい寒くなると手のかさつきがあって、場合によってはひび割れも)が治って、血色が良くな . . . 本文を読む
職場の忘年会に参加した。食と運動は合わせて1つとの思いがする。 昨夜は、職場の忘年会であった。例年、焼肉等の(自身にとっては)体調を崩しかねない食+またこれも、(自身にとっては)体調を崩しかねない夜遅くまでの2次会になってしまうのが通常であるので、例年はできる限り遠慮させていただいている。 しかしながら、今年は2月からの「股関節重心」の訓練 . . . 本文を読む
自然農法みかん。見た目がまず何よりも汚い?けれども本当に美味しい。これは他の野菜にも言えるけれども、農薬や肥料をたっぷり使って人の手をかけたものほど、見た目が綺麗な反面、本来の味薄く栄養価低いか? . . . 本文を読む
今回のブログ再開は「股関節重心」ということに出会い、自身の姿勢(立つ・歩く)を見直していったところ、様々な不調・病が治っていった、かつ「股関節重心」という視点から、駅や町での人々の姿勢(立つ・歩く)を視ると、8割方の人々が本来の「股関節重心」を崩してしまって(本来のというのは、全ての人がハイハイから立ち上がり、歩き出してという . . . 本文を読む
人間はいかに立ち・歩くべきか?四足体と二足体の矛盾、乖離をつなぐものとしての「股関節重心」。 今回は、自身と「股関節重心」との出会いから。今年の2月頃、夜中にふと目覚めて、眠れずスマホで YouTube のショート動画を見ていたら、出てきたのが「股関節重心」(レグルス)であった。一目見て、これだ!との思いとなり、そこから「股関節重心」教とい . . . 本文を読む
人間の睡眠とは魚類体以降の、それまで代謝が全てであった、代謝 = 運動、運動 = 代謝であったものが、運動と代謝を相対的独立のものとして、運動ということを誕生させた、その当然の帰結として、代謝もまた、睡眠という形で運動とは独立相対的のものとして誕生させたものであり、これは別言すれば、単細胞体からクラゲ体までの<生命の歴史>の繰り返しである。と捉え返した。 そこで、少し . . . 本文を読む
お風呂の効用について、それは<生命の歴史>の「単細胞体」の時代の繰り返しのために熱が必要であるから、と思える。 一昨日の忘年会、親しい方との、また新しい出会いもありの、楽しいものであった。それゆえについつい飲み過ぎて、昨日は二日酔いで1日寝たり起きたりで過ごした。 その中で、いかにすれば早く回復するであろうか ?と考え、水分をしっかり取ったり、消化吸収の . . . 本文を読む
「人間はいかに運動すべきか?」を年内には書き上げようと、焦りすぎての昨日のブログ記事であったと反省しきり。 それゆえに、一旦は昨日のブログ記事を非公開としたものの、今朝再度公開した。 端的な理由としては2つ。1つは、一旦はボツにしたものの、運動体というものが、生命の歴史においてどのように発展してきたのか?発展してきて現在の我々になっているのか、ということを概観すること . . . 本文を読む
「人間はいかに運動すべきか?」を問うには、本来ならばそのことを<生命の歴史>に尋ねて、原点からということにならねばならないはずである。 簡単には、全ての原点である「単細胞体」から運動体ということの原点である「多細胞体」( = カイメン体・クラゲ体)へ。 そこから、人間の運動体の直接の原点である「魚類体」へ。 また、そこからの海 . . . 本文を読む
「人間はいかに運動すべきか ?」は(「人間は何を食べるべきか?」とともに)、自身の幼少の頃よりの知りたい、わかりたいことであった。(「人間にとっての睡眠とは何か?」ということは、当時は問題にもならなかった。なぜならば、子供にとっては、夜になれば眠くなり眠り、気づけば朝というのが当たり前のことであったので、それに問 . . . 本文を読む