今朝、ブログ更新しようとしたらメンテナンス中だったので、とりあえずの覚え書。
弁証法の適用ということにも歴史がある、弁証法性がある、と思える。本来それは二重性で、であるべき。 弁証法の適用とは、対象(特に自身の専門分野)を弁証法的に見て取れる様になることがその目的であり、それには二重性がある。 弁証法から具体の事実へ向かうことと具体の事実から弁証法へと向かうこととの。 より正確には、具体の事 . . . 本文を読む
コロナ自粛の今こそラジオ体操を見直すべき、と思える。 コロナ自粛のせいで外出機会が減って、結果として身体の不調から衰えにまでなっていってしまっている患者さんが多数おられる。運動することの大事性を実感させられている。 とはいえ、やっぱり外出が怖い、人との接触を避けたい、との思いが一般的な、であると思える。 そんな矛盾を抱えているみなさんには、ラジオ体操を是非にとおすすめしたい。 このように述べ . . . 本文を読む
「古典に還れ」とは鍼灸の世界でもよく使われる言葉であるが、「古典に還る」ということの弁証法的・認識論的意義はいかなる事になるのであろうか?
「古典に還る」ということの意義は弁証法的にいえば、この世界のあらゆる物事はその誕生を原点として、その原点のあり方が発展していっての現在の物事であるから、原点がいかなるものであるのかの構造をしっかりと分かること無しには、現在のその複雑に発展したあり方の . . . 本文を読む
『名人たちの経絡治療座談会』(医道の日本社)を読み進めている。現代鍼灸の世界に比しての、その学びの広さ深さ、論理性に感心させられるとともに、何故に科学的鍼灸論としてそれが結実しなかったのか、と残念に思える。しかしながら、それもまた時代性ゆえ......と。 『名人たちの経絡治療座談会』を読むと、鍼灸、東洋医学に関わる諸々の重要問題を、文献に当たり、そのことに関わる鍼灸の実践をしっかりと持ち、 . . . 本文を読む
『南郷継正 武道哲学 著作・講義全集 第三巻』を読むと、物事を二重性で視ることの必須性痛感される。竹山晋一郎の偉大性とは理論的にはそういうことでもあったのだと。 コロナウイルスの影響で、クリニックは開店休業状態がほぼ3ヶ月近くも続いている。おかげで?『全集第三巻』の読み返しも4度目となっている。 詳細は、スマホで打つのでは無くしっかりと原稿用紙に書いてと思うが、『全集第三巻』を読む中で何度も . . . 本文を読む
現在の鍼灸の世界の全体をアバウトにでも知りたいとの思いから「連動企画 ツボの選び方1・2」(『医道の日本 1・2月号』所収)に眼を通している。 鍼灸は科学化=学問化されるべき、との思いを専門的に鍼灸、東洋医学に関わりを持つようになって以来、持ち続けているので、現代の鍼灸が科学化されないのは何故なのか?そのためには何が欠けているのか?との思いは当初より持ち続けている。 それ故、今回の『医道の日 . . . 本文を読む
書くということによる「思い」の自己運動を観念論的に、かつアバウトにマンガ的に説いてみたい。
我々がある対象に関わり続けると、その対象に関わっての「思い」を描けることにもなっていく。ここは、認識というものは問いかけ的反映であるから、いかなる反映になるかは問いかけいかんという面もあるが、そこはカットして「思い」をあるものとして説き始めたい。話は、「思い」が自身の何者かを知ろうとするところから . . . 本文を読む
「書くことは考えること」について「『ヘーゲル哲学・論理学[学の体系講義・新世紀編]』(全集第三巻)余録(Ⅱ)」(『学城 第19号』所収 現代社刊)で説いていただいている。それは個としての、絶対精神の発展のプロセスの繰り返しの一つのありかたなのでは、と思える。
「書くことは考えること、である。」ということを、これまで何度も南郷先生は説いておられる。自身ではそれをアタマの訓練法、「思う」から . . . 本文を読む
満月の光を浴びるとココロとカラダが安らぐ感覚がある。生命の誕生と月の関係からすれば、ある意味当然である、と思える。 昨日、仕事帰りに満月のあまりの美しさに暫し見惚れていると、月光を浴びる感覚があり、それとともにココロとカラダが癒される感覚があった。当初は、自身の生命の歴史に関わる知識のゆえの錯覚とも思ったが......。 生命の歴史においての月の役割に思いを致すならば、例えば、太古の月は小さ . . . 本文を読む
非常事態宣言でクリニックの患者数激減かと思いきや、通常の7〜8割まで逆に増えている。「啓蒙」の必要性痛感する。 2月に入ったあたりから減少が続いていて、直近では通常の1割くらいの患者数になっていたのが、昨日は通常の6割くらいまで患者数が増えていた。 自身では、おそらくは非常事態宣言を控えての駆け込み受診と思い、非常事態宣言が出された今日は患者数ほぼ零であろうとの予測を持っていた。 ところが、 . . . 本文を読む
待ちに待った『学城19号』が届いた。早速に読み始めた。 学問の世界、人類の精神、文化の最高に触れられた、との感激とともに読み進めている。 説いていただくこと有り難く......あれもせねばこれもせねば、怠けること無く頑張らねば、との思いへとなっている。 . . . 本文を読む
竹山晋一郎は何故に弁証法の適用で科学的鍼灸論としての経絡治療の理論を確立出来なかったのか? 端的には、唯物弁証法の適用ということを一般論レベルで対象たる鍼灸に唯物弁証法の論理を知識的に当てはめて終わり、それが唯物弁証法の適用であると錯覚してしまっていたから、であると思う。 しかしながら、それでは二流の観念論哲学者や宗教家が、自身の観念や神あるいは聖書の言葉から、世界の森羅万象を一方的に解釈し . . . 本文を読む