「万物は流転する」(ヘラクレイトス)を実感レベルで分かることが、弁証法を分かることの大元であると思える。吾人が人類の歴史を繰り返すことの大事性痛感する。
ヘラクレイトスの言葉とされる「万物は流転する」は、弁証法が説かれる時には必ずといっていいほどに、これが弁証法の原点であるとして説かれる言葉であるが、その言葉の中身=いかなる像であるのか、は通常は説かれることは無い。しかしながら、本当はその言葉の . . . 本文を読む
昨日は「からすみパスタ」に関わる自身の頭の中の映像を追ってみた。 これは、「食べたい!」となって、「食べる」という行動をとらせる、その原動力となる「映像」はいかなるものなのか?を知りたい、知っておかねばならない、との思いからのであった。(ここは引き続き深めていきたいと思う。) 本日の「旧弁証法・弁証術について」は、以前にブログ記事で「弁証法 . . . 本文を読む
近頃、ゼロからの出発、再出発ということの大事性、その意義ようやくに実感することが出来てきた、と思える。 昔々に師から、「何事かを学ぶ、あるいは学び直す場合に、よく1からの出発でなければならないと言われる。しかしながら、それは壮大なる誤解である。 なぜなら、最初は何もないはずなのに、諸君は1があるとしてしまうから、まともな学び、上達ができないのである。 そうではなくて、大事なことはゼロからの出発、 . . . 本文を読む
『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳選書20)を読み返している。「問いかけ的反映」ということが本当には分かっていなかった、ということ痛感させられている。 自身の「問いかけ的反映」ということのイメージは、(動物の外界の反映というものが、対象のあるがままの反映の映像であるのに対して)人間の外界の反映というものは、自身のそれまでにあ . . . 本文を読む
『看護のための「いのちの歴史」の物語』(現代社白鳳選書20)読み返している。実践的に学ぶことの大事性痛感する。人間の認識の「問いかけ」ということを分かりたくて、サルの認識(サルの描く反映像)というものを思い、考えしてみた。サルの認識=反映像が、それ以前の魚からの動物とは大きく違って、もどき像という不明瞭な像をも描く様になっていく . . . 本文を読む
前回は、人間の認識 = 映像というものを知るには、人間の特殊性としての「問いかけ的」反映としての映像を、人間以前の単なる反映の映像と比較して、その違いを知らなければ人間の認識 = 問いかけ的反映である映像というものも、よくわからない。 つまり、「問いかけ」の部分の映像と「反映」の部分の映像とを、分けて見て取れない、として、人間と魚との対比で見ていこうとしたのだが、そもそも魚の映像というものがわか . . . 本文を読む
『カラアゲに関わる認識論』をブログ記事として書き出してみると、未知の事柄を書く=文章化することの難しさ痛感させられている。それは二重にである。一つは自身のアタマの中の映像を書くということの難しさであり、それに加えて、書くべきアタマの中の映像は、書く以前には明確な形となっていないという二重の難しさである。それゆえ、断言的に書くこと能わずで、ああだろうか?こうだろうか . . . 本文を読む
前回は、カラアゲを食べるということの背後にはいかなる認識いかなる映像があるのか?を見ていった。 しかしながら、そこには反映の映像はあっても人間の人間たるゆえんである「問いかけ」の映像がなかった(というか「問いかけ」の映像も「反映」の映像も一緒くたにしていた)のではないのか ?という自身での反問を受けて、そこを見ていこうとして、それには問いか . . . 本文を読む
昨日は認識について、自身のカラアゲに関わる事実 = 頭に浮かぶ映像を追っていくことで書いた。 それに対して「なるほど。そうだよな。」となった方もいれば、「あれ何か違う?」となった方もおられると思う。 「何か違う!?」となった方の思い = 映像としては大きく2つのものがあったのでは?と思う。 一つは知識的に、すでに認識論というものを知っておら . . . 本文を読む
近頃、認識の学びの二重の必要性(自身の問題として、とともに患者指導の問題として)を痛感している。そこで、その学びの初歩的なところを「唐揚げを食べる」ということの実際で説いてみたい。 今回は本当の初歩から始めたい。難しい話はなしで、認識 = 映像として「唐揚げを食べる」という日常的な事実を通して、その時々に描かれる認識 = 映像を追ってみたい。 それが一体、認識論とどう . . . 本文を読む
昨夜は、バドミントン教室までの約5km を歩いた。(途中、スマッシュの足運びを練習しながら) これは「股関節重心」の成否の試しであり、また来春よりの、週2で中山寺奥の院登山を可能にするための準備運動、との思いのでもある。 昨夜の5キロの速歩+バドミントン教室1時間半を行っても、夜中に足がつることもなく、今朝も膝が痛むこともなくであった。 これは一重に「股 . . . 本文を読む
『全集第三巻』を読んでのみなさんの感想はいかがですか? 自身では、形而上学、観念の世界というものの姿を、そこまで手を引き背中を押しして連れて行って、見せてくれる唯一の書である、と感激とともに読み返してます。 自身のレベルでは『全集』はまだ早い、まずは『夢講義』をしっかりと学んでいかねば、との思いが一方ではあるので、少し複雑な思いはあるのですが......。 しかしながら、実力十分なみなさんや、学 . . . 本文を読む
近頃、自身の、また他人の事実から、自己の他人化ということの難しさを痛感させられている。
人間には、相手の気持ちが分かる、認識が分かる能力がある、そしてそのことは人間が社会的な存在である以上、何よりもといってもいい程に大事なことである、逆からいえば、相手の気持ちの分からない人は人間としては問題がある、極論すれば人間失格である。
その何よりも大事であるといってもいい「相手の気持ちを分かる」という能 . . . 本文を読む
iphone seの通信不良の原因、真因が分かった、と思える。弁証法が有効であることの根本的な理由を実感する。
使わない携帯電話の維持費が馬鹿らしいとの思いから、携帯電話+カメラ+αで維持費も返って安くなるとの思いからiphone seを購入したのだが、同じAppleのipadmini4よりも通信状態が同じ場所で常に悪い、しばしば圏外となるということがあった。
iphoneを疑いsimカードを . . . 本文を読む