日本vsポーランド戦、日本の敗戦であった、にもかかわらず予選リーグ突破ということである。負けにも負けかたがあるのだと......。
その負けの中身を考えてみると、偶々の幸運での、負けたけれども予選リーグ突破ではなかったのだと、感心される。
自身の学びもまた、と思う。出来ないことを出来るように、であるのだから......。
ベルギー戦での日本代表の見事な戦いを期待したい。 . . . 本文を読む
『カレーの雑学王』(とことんカレー研究会編 青春文庫)読んだ。その知識の深さ広さに驚かされる。とともに、学問とは何が違うのか?と改めて考えさせられた。
「カレーの分析」というものに驚かされ、カレーに興味を持って、カレーやスパイスに関わる何冊かの本を読んだ。
その中の一冊『カレーの雑学王』、そのカレーに関わる知識の豊富さ深さ広さに驚かされる。
では、それは哲学や学問とは何が違うのか?
端的に . . . 本文を読む
Oさんの患者対応に、その精神力の凄さを視、心底驚かされた。とともに「牛若丸の学び」とはこういうことなのだ、と思えた。
先週の午後診での出来事。Oさんが患者さんに対して、「保険証を持って来ていなければ初診の場合は保険での診療を受けられない。」「今日は自費診療で全額支払ってもらって後日、保険証を持参してもらえれば、保険診療分を差し引いた金額を返すという形では受診できる。」ということを説明するのだが、 . . . 本文を読む
腰痛(腰背部の重だるさ)を訴える患者への施術行った。新たな手技療法術のイメージが描けた、と思う。
本日、患者Yさんに対しての施術行った。以前はよく施術したのだが、ずっと通っては来られていたが、諸々の事情から数年間ほとんど関わることのなかった方である。
本日久しぶりに施術しての感想は、端的には、「身体が固くなったなあ!」であった。
十分プラスαくらいの時間をかけて背部の固さをほぐすこと行ったと . . . 本文を読む
カレーの味に重層構造がある、重層構造を持つ過程性がある、ということを知った。これは指圧の押しかたにも共通するものである、と思えた。
テレビ番組(『ザ!鉄腕!DASH!!』)でカレー研究所?が紹介されており、そこではカレーの味を過程性のある重層構造を持つものとして捉え返して、口に入れた瞬間から喉を通るまでの?数秒の間の味覚の変化を分析して、それを視覚化して分析して試行錯誤を重ねている、というこ . . . 本文を読む
『ザ!鉄腕!dash!!』で、カレー研究所が紹介されていた。そこでのカレーの味の重層的・過程的な分析に、手技療法も同じこと、と思えた。
一昨日、『ザ!鉄腕!dash!!』(日本テレビ)で、カレー研究所が紹介され、そこでの図を使っての「カレーの味の分析」が紹介されていた。
それを見て、たかが?カレーであっても、問いかけによってはここまでの対象の構造への分け入りがあるのか!と驚かされるとともに、図 . . . 本文を読む
今年もまた雪駄の季節がやってきた。日常生活で鍛えることの大事性を実感する。
今年は天候不順で、寒かったり雨が降ったりの日が時折あったので、なかなかに雪駄を履くということを行わなかった、行えなかった。
しかしながら、いざ履いてみるとその効用の大きさに驚かされ、もっと早くに履いてておくべきだったと思わされる。
具体的には、雪駄を履いて半日も歩き回ると、その夜には脚がつって、とか一晩中足裏にジンジ . . . 本文を読む
「学問形成に関わる人類の認識の発展過程」という図、凄いもの!とその価値が次第次第に分かり出すとともに、なんとしてもそこに学ばねば!との思いへとなっていっている。
『哲学・論理学原論』で示していただいている「学問形成に関わる人類の認識の発展過程」という図、当初は、「思うや考えるということにもレベルがあるのだなあ」とか「自身では「思弁」や「思惟」どころか「思う」と「考える」ということの意味や区別と連 . . . 本文を読む
本日、保健所と税務署に開業の届けを提出した。
役所の手続きは面倒、ややこしいとの先入観があったのだが、予想に反して保健所でも税務署でも簡単な書類に記入するだけで、僅か数分で手続きは終わってしまった。
肩透かしをくらった心地がするが、考えてみれば保健所であれば鍼灸学校三年間に加えて国家試験合格の上での、そのことの登録?でしか無く、税務署に至っては、自身がこれから税金を納めて行くということの登録で . . . 本文を読む
自身の為したことを思い、書くことに苦労している。が、次第次第にそのことの意義が分かって来たように思え、それゆえに、なんとしても!との思いへとなっていっている。
今春より自身の職場に新たに就職された先生たちの施術を見ていると、これまでに無くそのレベルは高いと思える。
そういう意味では、自身のレベルの手技療法術の施術が出来る者は、山ほどいるのだと思える。
しかしながら、それらの人々が自身の為した . . . 本文を読む
「カワイィ〜ッ!」という言葉の背後にある像について考えた。そのことで四百字詰原稿用紙五百枚に書くべきことのイメージがようやくに明確になってきた、と思える。
昨夜、駅のロータリーで、十代半ばと思える娘さんが母親(?)を相手にして身振り手振りを加えて話し、「カワイィ〜ッ!」を連呼しながら地団駄を踏んでいる?姿を見かけた。この光景を見かけた自身の思いは「カワイィ〜ッ!」ではなくて「気持ち悪い!」で . . . 本文を読む