氣とは何か?西洋医学的唯物論的には如何なるもの、ことを言うのか?東洋医学の概念規定として、(全身を巡って人間の身体を正常に保つ)氣の流れを整える、とした。では、全身を巡る氣とは何か、それが巡るとどうして病から回復していったり病になっていかないのだろうか?ということが次には問題となろう。東洋医学的観念論的には、人間の身体を働かせる大元の原動力が( . . . 本文を読む
棄権が自民金権政治批判と思ってる皆さん棄権するくらいなら、れいわ、参政、日本保守等の新しく小さな党にいれたらどうでしょうか?棄権は自民党によっては痛くも痒くもありませんどうせ小さな党では大きく変わることはないですから何より投票に! . . . 本文を読む
バドミントンを始めて8ヶ月余、ようやくスマッシュ打てるようになって来た。長かったなあ、と。空手、ムエタイの準備運動という位置づけで、一から人間体の鍛錬をし直さないとこれ以上の発展は望めないだろう、との思いで始めたことの一つのバドミントン。数ヶ月で区切りをつけて、空手、ムエタイにとの当初の思いとは違って、最初は空振りばかりで、こんなはずではとの思いでの、であった。(大学時代に少しやった . . . 本文を読む
今日はこれからバドミントン教室へ、なかなか道は険しいムエタイのための体力づくり準備運動、という目的で始めたバドミントン。単に走り回れる体力づくりとのイメージで始めたものが、やってみるとまともにスマッシュ一つ打てない状態で、2〜3ヶ月で終了の予定が既に8ヶ月余。新たな技の習得は楽しく、また様々な発見もあり、大変でもあるけれども当分続けそう。 . . . 本文を読む
世代交代は何のためにと考えると、『鍼灸如何に学ぶべきか』を新たなブログ『東洋医学の理論』として始めることの必要性、必然性を確信する。 ブログの再開にあたって、名称を『鍼灸如何に学ぶべきか』から、『東洋医学の理論』へと変更した。 理由は、ブログ休止の3年間にそれなりの進歩、深まりもあり、何よりもこれが自身の鍼灸治療、という形が確立されつつあること。 そのことによって、治療とは何かの〈一般論〉が自身 . . . 本文を読む
姿勢の崩れからの肩こりの多いことに驚かされる。人間、本来の姿勢をとっていくこと、とり続けるのことの大事性、痛感される。 「股関節重心」ということを実践し、その意義を考え出してからというもの、人の姿勢、重心ということが、街を歩いていてとても気になる。 目につく多くの人が骨盤後傾+ 膝重心になっていて、若く筋力のあるうちはまだ良いのだけれども、年齢とともに筋力が衰えてくると(これは高齢 . . . 本文を読む
先週、日曜日に急に思い立って再開したブログ。あれこれ不安要因はあったものの、とりあえず「トマス・アクィナスについて」をアップ出来た。読者?の皆さん、これからよろしくお願いいたします🙏 . . . 本文を読む
過去のブログ記事を読み返してみると、なかなか頑張って書いてるなあ(自画自賛)となった。これを超える記事を書かねば、と少々プレッシャー。まあ何事も最初は少しづつちょっとづつ、か。 . . . 本文を読む
社会レベルのコロナウイルス感染症の終息についてのマスコミの報道を見ていると、その時々でいろいろと解説されて、これではコロナウイルス感染症の終息のイメージが描きづらいとの思いで、社会的レベルのコロナウイルス感染症の収束・終息について、自身のイメージをブログ記事として書いた。 しかしながら、人によっては切実な問題(自身にとってもだが)であるだけに、ブログ記事を曲解レベルで読まれる方も無いではないとの . . . 本文を読む
答の分からない問題にどう答えるべきかという問題が論じられ、空欄のままが正しいのだ、とされていた。そんなバカな!?と思える。
今朝の朝日新聞の教育関係のコラムで、試験で分からない問題があった時に、(学校や塾では)一般的には、空欄のままでは0点だから嘘でも何か書くように教わる。
しかしながら、教育という観点からは、適当にウソを書くように教えて良いのだろうか?分からないことは分からないと素直に認めて . . . 本文を読む
「語彙力」ということが流行っているらしい。それはそれで結構なこととは思うものの、語彙力=文章力と錯覚されているのでは、と。
今朝のNHKで、今SNS上で「語彙力」ということが流行っていて、文書の最後に「語彙力」とつけることで「言葉足らずであるが意を汲んで欲しい」という意味で使うらしい、それとともに「語彙辞典」等が売れている、とされていた。
自身も文章を書くことを始めた当初は、今に至るもであるが . . . 本文を読む
近頃、あれこれと望まないこと、人と関わることが増えている。
そこに関わるのは時間の無駄、にもかかわらずそれらを無くす訳にもいかずで......。
そんな諸々のことにアタマを悩ませていて、ふと思い浮かんだのが、「ポーカーの醍醐味は、悪い手札をいかに上手く使うかにある。人生も同じこと。」と薄井先生がどこかで述べられていたことである。
そう考えると、現状のいくつかの自身の意に染まない物事も、そんな . . . 本文を読む