卒業研究について、その構想が二転三転して現在に至っている。そこで、原点を、そして原点から現在までを概観しておきたい。
鍼灸専門学校であっても卒業研究なるものがあると知ったのはほぼ一年近く前であった、と思う。自身の研究論文のイメージは、例えば、菅野幸子先生の学位論文、『日本医療の原典に見る「東洋医学」と史料に基づく古代「西洋医学」との比較文化史的研究』であるので、自身の鍼灸専門学校の学びの総括の千 . . . 本文を読む
卒業研究について、本当は何をなすべきかが次第次第に分かってきた、と思える。
卒業研究について、「要は対象の構造に分け入ること!現象にとらわれるから分からないのだ!」と分かったと思えたのであるが、その分かりかたが、「現象にとらわれている」ということが、分かってきた、と思える。そもそも「対象の構造に分け入る」ということは、無いものを有るとする、出来る方法ではないということである。
確かに、一流レベ . . . 本文を読む
卒業研究について考えた。要するに、論文と同じアタマの働きが必要なのだ、と思える。
昨日で鍼灸学校二年生の授業はすべて終了した。併せて、卒業研究のゼミ?も、実験結果の考察を残すのみとなり、各自持ち寄って6月の発表までに完成せよ、ということであった。
しかしながら、実験結果の考察とは、対象の構造に分け入るということであり、構造論の展開であるから、実験結果をいくら見つめてみても、そう容易くは……であ . . . 本文を読む
「現在、日本社会において肥満とそれにともなう病は大きな社会問題となっており、その対処が切実な問題として求められている。
それは、食の問題であり、運動の問題であり、それらにもまして食と運動のアンバランスの問題でもある、と理論的には解明されている筈である。
にもかかわらず、現実的には、TVや雑誌のダイエット情報の氾濫に視るごとくに、確固たる解決方法は未だ無い、と思える。
本研究は、そのような問題 . . . 本文を読む
漸くにして、7時間睡眠の確保の見通しが立った。まずは少しの頑張りで実現可能な目標を持つことの大事性痛感する。
しっかりとした睡眠(量、質ともに)を確保することの大事性は、実践的にも理論的にも明白なはずなのであるが、その不足が切実な形ではなかなかに実感されがたいので、ついついその確保は後回しにされてしまいがちである。
例えば、ある実験にかかわるデータでは、20〜30代の男女の9割以上が1日の平均 . . . 本文を読む
統計学の意義について、その意義の理解を抜きにしての……であるからの……と思う。
昔々、自身が統計というものを高校?で初めて学んだ時は、確率・統計という形での数学の授業であり、平均値と標準偏差を計算して正規分布のグラフを描く、ということしか記憶にない。それゆえ、『統計学という名の魔法の杖』(本田克也 浅野昌充 神庭純子著 現代社)を読むまでは、統計学というものに興味を持つこともなかった。(もし中学 . . . 本文を読む
「常には黙して語らぬ数字も、有識の人にのみは口を開く」(グスターフ・リューメリン)
冒頭の言葉は、『統計学という名の魔法の杖』(本田克也 浅野昌充 神庭純子著 現代社)で紹介されている言葉であるが、耳鍼の実験?データが出そろっての現在、データは何も語ってはくれていない、と思える。
具体的には、被験者(男8名、女7名)の耳鍼前のBMI と耳鍼を2週間施した時点でのBMI は、その平均値も標準偏差 . . . 本文を読む
卒業研究の統計学的処理の構想。データは使いよう、と思える。
そもそもが統計学的処理が出来るようなデータの取りかたをしていないのだから……との思いはあったのであるが、それで突っぱねることも大人気ないとの思いから、「やる以上は実りあるものに」との思いとなっていって、卒業研究の統計学的なデータ処理の構想を、『統計学という名の魔法の杖』を読み返しながら、練っている。
あれこれ考えていくと、「耳鍼の減量 . . . 本文を読む
「スーパーサラリーマン佐江内氏」を観た。穢い言葉遣いにうんざりして観るのをやめてしまった。
近頃、TVというものをあまり観ない、観る時間がないのであるが、世の中の流れというものを知るためにも、という思いで週に1〜2回は観ることがある。
先日も「スーパーサラリーマン佐江内氏」(日本テレビ)を、楽しく笑えるコメディとの思いで観ていたのであるが、小泉今日子さんの演じる佐江内氏の妻・円子の穢い言葉遣い . . . 本文を読む
(統計学の)学びかたについて、それには二重性があると思える。
卒業研究を統計学的に、と思うと『統計学という名の魔法の杖』の読み取りかたが、単なる?一般教養として読むのとは違ったものとなっていく、と思える。
『統計学という名の魔法の杖』は、いままで十数回は読み返した書なのであるが、今回、卒業研究のために読み返すと、つまり実際に統計学を使うという目的意識性で読み返すと、その理解のありかた、深まりか . . . 本文を読む
『統計学という名の魔法の杖』を読み返し始めた。原点を問うこと、の必要性、大事性痛感する。
後期末試験が終了し、卒業研究のゼミ?が1週間の予定で始まった。卒業研究自体が事例報告という方向性で進んでいってしまっているので、統計学云々とは無関係な形で進んでいくものと思ってしまっていたのだが、指導教員が介入してくると、やはり統計的に処理して、という話になって来た。
が、そもそもが統計学的なデータの取り . . . 本文を読む
奇経八脈、特に陽維脈・陰維脈、陽蹻脈・陰蹻脈について考えると、それらは、実際の施術の基本となるものでは?と思える。
これまで「奇経八脈」というものにはあまり興味が無かった、「正経」に対する「奇経」という名前からして「邪道」とか「変則」、「徒花」ということが連想され、学ぶにしても「正経」プラス「任脈・督脈」を充分に学んだ後に、との思いがしていた。
しかしながら、後期末試験の範囲ともなり、かつ昨日 . . . 本文を読む
骨の新発見?について知った。先人の知恵の先進性に感動させられた。
昨夜の『ためしてガッテン』(NHK)で、骨の新発見について紹介されていた。端的には、骨は、今まで思われていたように、単に身体を支える器官であるだけでは無しに、骨ホルモン(オステオカルシン等)を分泌し、全身を活性化している。例えば、骨ホルモンによって膵臓の働きも活性化され、糖尿病も治る、血糖値が劇的に下がる。そして、骨ホルモンは、骨 . . . 本文を読む
奇経八脈について学んだ。集団で学ぶことの大事性、実感する。
東洋医学臨床論の後期末試験範囲に奇経八脈が含まれていた。それゆえ、当然のこととして「奇経八脈」についての学びを行なわねばならない、筈である。
筈である、と他人事のような言いかたになっているのは、当初は、奇経八脈についての学びをするつもりが無かったからである。
理由は、学校の授業では「奇経八脈」とは何なのか?も、何に使うのかも説かれる . . . 本文を読む