2017年を振り返って思うことは、月並みな感想ではあるが、一年が恐ろしいほどの速さで過ぎ去ってしまったということである。
それも、去年よりも今年、という形での年々加速して行っての、その上にその加速の仕方自体が30代より40代、40代より50代と10年単位ぐらいで加速して行くという二重の加速をして行っている如くの、である。
それだけに、本当に真面目にしっかりと日々努力を積み重ねていかねば、と . . . 本文を読む
教科書(鍼灸学校の)の目次を視ると、教科書に学ぶことの大事性、痛感される。
『医学原論(上巻)』(瀬江千史著 現代社)の「第二章 第八節 教科書を使わない医学教育の弊害」では、
「教科書を使って学ばせるのは、まずタンスをしっかりとつくらせ、それぞれの引出しに、セーターならセーター、シャツならシャツ、靴下なら靴下をしっかりと分けて収納させていくやり方である。
それに対して、それぞれのプリ . . . 本文を読む
『医学原論(上巻)』(瀬江千史著 現代社)を読み終えた。難解というものにも二つがあるのだということ実感された。
昨日から仕事が年末年始の休みに入ったので、本日は読みかけになっていた『医学原論(上巻)』を一気に読み終えた。当初の、読み出す時点での自身の思いは、『医学原論(上巻)』という厳しい書名からも、難解な論理・理論が説かれるのであろうとの、相当以上に身構えての、であった。
しかしなが . . . 本文を読む
『科学物語』(アンリ・ファーブル著 前田晃訳 木鶏社)の書評を読んだ。それを書かれている、山本 始というかたの論理的実力の高みに自身の知らないところにこのような凄い実力を持つ方がおられたのだと心底驚かされるとともに、そこに説かれてある『科学物語』の内実、それを書くことのできたファーブルの実力の高みの凄さを知ることとなった。
「この本は幼い私に、科学とは何か、研究とはいかなる行為か、人間はど . . . 本文を読む
「わたしの城下町」(小柳ルミ子)の昔の映像が映され、それに関わる裏話が紹介されていた。どの世界も同じなのだと、自身のあり方が反省された。
昨夜、テレビで時期恒例の「懐メロ番組」をやっていて、「わたしの城下町」(小柳ルミ子)の映像が映されていた。
小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」が実際にヒットしていた時の自身の評価は、素人っぽい、あまり歌の上手くない方というものであった。(自身がまだ中学生にな . . . 本文を読む
東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」というものはあるのか?と考えてみる。
12月の中旬から体調を崩してなんとか持ち堪えていたのが、先週末に鍼灸学校が冬休みに入った気の緩みからか、発熱するところまで行ってしまった。
せっかくの機会なので、「あらゆる病気に共通な筋道」ということを自身の事実で考えてみるとともに東洋医学に「あらゆる病気に共通な筋道」というものがあるのか?と考えてみた。
当初は、東 . . . 本文を読む
4WD車の試乗をした。最新の技術の進歩に驚かされ、また「高級な」ということを実感した。
先の連休にVWゴルフオールトラックとAudi A3クアトロを乗り比べる機会があった。
まず試乗したVWゴルフオールトラック、何より驚かされたのが4モーションという4WDシステムの技術の進歩である。
自身のアタマが古いのか、4WDといえば安定性はすごいが、それだけに曲がる能力はFRやもしかしたらFFにすら劣 . . . 本文を読む
昨夜のS先生の「キネシオテーピング」の理論(?)と実技に学ぶことで、新たな人間の解剖生理とそこに対しての治療のイメージが描け、そのことで自身の手技療法と手技療法術に関わるイメージが広がり、さらにそのことが、実際の技と術の発展へと繋がっていく、繋げていけると思える。 . . . 本文を読む
昨日で、本ブログ1000日目を迎えた。一時の書くに書けない日々を思い起こすと、よくぞ1000日続いた、と思う。
ブログ読者の皆さんの日々のアクセスと頂いたコメントのおかげ、と、特に度々コメントを頂き、自身が書けない時には励ましの言葉を頂いた「自由びと」さんには感謝の気持ちで一杯である。
後2か月ほどで鍼灸国家試験も終わり、その後には、拙いレベルながらも鍼灸・東洋医学を一年くらいかけて概観しての . . . 本文を読む
今日は冬至である。我々は、しっかりと自然の法則性に学ばねば、とこの時期には思わされる。何故かならば、我々人間も自然の一部なのだから......。
厳しい寒さが続いている(自身の住む地域では-4℃以下の朝が連日である)が、この時期になると、いつもいつも思い出されるのが「冬来りなば春遠からず」あるいは「陰極まりて陽に転ずる」という言葉である。
古人がおそらくはそうであったように、自身も厳しい寒さに . . . 本文を読む
観念論的なものの見方の原点について考えると、自身の原点という像のスケールの小さいことが痛感される。
今朝、ブログ「新・悟りを求めて」(時々本ブログにコメントをいただく自由びとさんのブログ)へのコメントとして、観念論的な立場の形成のあらまほしき過程的構造について、抽象画の上達の過程的構造の二重性として説いていた時に、またその後に、観念論的な、とはそもそも如何なるアタマの働かせ方なのか?その原点とは . . . 本文を読む
今朝は、時間に少し余裕があったので朝から珈琲を淹れた。そのことを弁証術的に捉え返した。
お湯をポットに沸かして、お湯が沸く時間に豆をミルで碾き、お湯が沸いたらドリッパーを温め、ペーパーフィルターをセットし碾いた豆を入れ、沸騰したお湯を豆全体に行き渡るようにかつサーバーへと落ちないように注ぎ、豆にお湯を含ませ膨らませる。豆が軽く膨らんで、落ち着いたら(十数秒くらいか)ポットの注ぎ口から細く静かにお . . . 本文を読む
『医学原論(上巻)ー医学教育講義』(瀬江千史著 現代社)が届いた。期待どおりの、と思える。
本日、『医学原論(上巻)』が届き、早速に「まえがき」と「目次」を読んだ。
自身が『哲学・論理学原論{新世紀編〕』(南郷継正著 現代社)を理解する(そこへ登る)為の導きの書であり、『哲学・論理学原論〔新世紀編〕』から自身の専門を理論的に構築する(そこから降る)為の導きの書でもある、と思えた。
しっかりと . . . 本文を読む
先日、職場の忘年会があった。雇われの身なのでやむを得ない、というところからその場を利用しての諸々の実験(実体と認識の)との思いで参加した。中での飲酒・二日酔いに対しての実験について。
「牛黄」:ネットでは、水商売をする人々の必需品?とも言えるもので、「牛黄」を事前に飲んでおけばいくらでも飲める、とするものもあった。
が、自身での試しでは日常的に寝不足が続き、であったのにもかかわらず悪酔いせずに . . . 本文を読む
『陸王』を観た。弁証術ということのイメージがより具体性を持ったものとしてイメージ出来た、と思えるとともに自身の、は全く不足である、と痛感された。
昨夜の『陸王』、役所広司の演じる「こはぜ屋」の社長が、「陸王」を作るためにはFelixという大企業に買収されるしか無い、との周囲からの説得に抗って、あくまでも「こはぜ屋」の存続を主張していたのが、合理的に考えるならば「陸王」を作るには買収に応じるしか無 . . . 本文を読む