音楽家といえども、人間=ヒト本来の姿勢をしっかりととることが必要である、と思える。しかしながら、運動家ほどにそれが問題となることは、問題とされることはまず無い、と思える。それは、技のほとんどが人の創った楽器であるから(......そういう意味では、声楽家は例外的、かもしれない。)、人間体の変化から崩れとなっていっても、問題がないといえば問題が無いから。問題 . . . 本文を読む
昨夜のピアノリサイタル。素晴らしいバッハに、自身の芸術心に火をつけていただき、興奮覚めやらずで夜中まで書道三昧であった打ち上げにもお誘いいただいたが、頑張らない自身が打ち上げ参加は烏滸がましく.. . . . 本文を読む
昨日は、「人間は何を食べるべきか ?」を問うことの必要な根本的理由。として、生命体は、その生命体の体を創っている食をまともに取り続けることなしには、その実存すら危うくなっていく。 にもかかわらず、本能の大半を失っていってしまっている人間は、それを知ることなしには、必要な「食」を食べるとは限らない、と説いた。 本日は、そこを踏まえての、食の原点、そもそも食とは何か ? . . . 本文を読む
作品展で、師の作品を見た。その筆力に、「凄まじいなあ!」と、ただただ感心してしまった。本日、自身の書道の師が作品展に出品されていると聞き、昼休みを利用して見に行った。常には自身の作品を褒める、誇るということのない師が、珍しく「あの「年」の縦棒の「グッグッグー」という力強さはよくかけた。年齢的に今後二度と描けないかもしれないとも思うので、手元に残しておこうかとも思っている。」と自身の作 . . . 本文を読む
「刀術の勝負とは、終には刀を振り上げ振り下ろすのみ」(宮本武蔵だったか千葉周作だったか?) ようやくに、書を描くということのイメージが出来上がりつつあると思える。自身の歩みの遅々たることに呆れてしまう。 書道を始めて、早いもので来春には3年が経つ。現在の師の出会いは、当初は患者とリハビリの先生であったが、日展の招待券をいただいて師の作品を拝見し、その筆の冴に書道への憧れ . . . 本文を読む
数年前から「かな」に取り組んでいる。師との偶然の出会いからの、であるがなかなかに上達し難く悪戦苦闘中。自身の生涯の夢である絵がなかなかに時間もとれず、となる中、「かな」にしっかりと取り組んでいこうと思う。 . . . 本文を読む
『G.W.F.ヘーゲル 美学講義』(寄川条路 監訳 法政大学出版局......以降、『美学講義』と略して表記する)を読み始めた。一般論(とそれに見合う事実)を持っての学びの大事性、必須性、痛感する。
今春より、数年ぶりに絵を描くことを始める予定(昨日、近隣のクロッキー会に参加した)であった、のでこの機会にヘーゲルの「美学」に再挑戦することにした。
ヘーゲルの「美学」は、岩波のヘーゲル全集では、 . . . 本文を読む