人間はいかに運動すべきか ? ということを、説いていきたい。年内にはアバウトな形ででも完結させたいものと思う。いつまでも先送りというわけにはいかないだろうから。
さて、人間の運動体というものもまた、完成的に存在するものではなしに、(二重の)歴史性を持っている。
ひとつには、個体発生としての、誕生からの、寝た状態と泣くこと、おっぱいを吸うこと(と排泄)が全てである時代から、抱かれて首がすわって、座る、四つ這い、立つ、歩く、おんぶに抱っこ、走る、泳ぐ、木に登る、体操、スポーツ、農作業、武術......本を読む、テレビを観る......といった運動体の発展として。
もう一つは、<生命の歴史>としての、単細胞体からクラゲ体までの、(ほぼ)運動 = 代謝であった時代、魚類体としての、運動と代謝が相対的独立を果たした時代(ここが人間の運動体の直接の原点)、そこからの陸に上がっての両生類体、哺乳類体の四足の時代、次にサル体からヒト体しての、四足から二足になっていく時代、そして我々の、人間体としてのヒト体として創られたものを使っての二足の時代、という系統発生としての歴史性である。
そしてこの二重の歴史を、我々。個々人は、その人なりに歩んで行って、その人なりの人間体として持っていくことで、現在の、健康で走り回ったり仕事をしたりということができる、あるいは不健康で、肩が凝る膝が痛いというような、様々な状態の人間体を持つということとなる。
そのような二重三重の歴史を概観すると、立つことと歩くこと(の姿勢)が歪んでいってしまう、しまっていることが、現在の我々、日本人の、人間体が持つ問題であると思える。
別言するならば、四足体から二足体へとつなぐ、「あるもの」が欠けているからの、四足体と二足体が乖離していってしまっているからの、様々な問題、異常から病へだと思える。
それゆえ、四足と二足をつなぐもの、媒介するものを、主題としてまずは、説ていきたい。(続く)
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