『易経』が有効性を持つことと「東洋医学」が有効性を持つこととが、重なって見えた。
『易経』が有効性を持つのは、経験の無限レベルの繰り返しによって、表象レベルの弁証法とでも言うべきものとしてそれが創り上げられている(人生問題の起承転結を説いてくれる)から、かつ、『易経』に学ぶとともに自身の周囲の人の(人生)問題と取り組み続けることで、論理能力を培った「易者」によれば占いがよく当たる、当然のことに易 . . . 本文を読む
『人生に生かす易経』(竹村亞希子著 致知出版社)に目を通した。易経というものの意義をはじめて知り得たとの思いがする、とともにそのアバウトな理解の必要性痛感した。
『易経』は、古代中国の古典中の古典であり、それ以上に鍼灸の根本思想ともいうべき「陰陽論」の原点となる書でもある、との知識があったので、何度か手にしては見たものの、理解以前に、読み通すことが困難な書であった。
しかしながら、今回、竹村亞 . . . 本文を読む
待ちに待った、『学城 第18号』(編集 日本弁証法論理学研究会 現代社)が届いた。
どんな素晴らしい内容が説かれ(解かれ)ているのか、と......。『学城 第18号』の「『全集』第三巻『ヘーゲル哲学・論理学〔学の体系講義・新世紀編〕』余禄」では、「頭脳の大本は脳の働きそのものです。だから、脳をしっかり整えて、脳そのものが元気であり続けないかぎり、大事な頭脳活動は簡単に衰え、老いていきます。.. . . . 本文を読む
絵に関わるブログ記事を続けてアップしている。指圧やマッサージ、あるいは食や運動についての記事であるならばまだわからないでもないが、何故の絵なのか?との批判が当然にあることと思う。
それについての少しばかりの弁明?を、と思う。
鍼灸のブログで、絵に関わるブログ記事を書く理由は二つある。一つは、学問というものは、全てを一つの筋道で説く(解く)ことにその真髄がある、との理解があるからであり、もう一つ . . . 本文を読む
絵を描くことの上達(だけでは無いが)にも認識論の学びは必須のものと思える。
絵のまともな学びを、との思いから「石膏デッサン」(それは、専門家レベルの、あるいは美大受験のための、修業の基本とされている、いた?)に三十数年ぶりに取り組んでいる。
自身が昔々に絵を描いていた時には、描けば上達する、描いても上達しないとすればその人には才能が無い!との、絵は才能であるという根本発想によるケンカ拳法的な上 . . . 本文を読む
『Cours de Dessin』の絵の模写をした。全てを一つの筋道で、と思う。
『Cours de Dessin』という本があって、巨匠と言われるピカソやゴッホが絵の学びの最初の段階で、それに学んでの模写を行なっていた、ということを先日知った。
昔々、ピカソのデッサン力に感嘆したことがあるので、その原点を知ることは自身にとっては大変に興味深いことである。
なぜかならば、弁証法的に考えるなら . . . 本文を読む
「食とは地球からわかれた生命体が母なる地球との一体性を保つための相互浸透の形態の一つである。」
一般論としてはそうであっても、ではその具体は如何なること、ものであるのかを考える必要性がある。なぜかならば、実践するということは、一般論だけでは不可能であり、必ず具体へ必要性がある。
この場合であれば、アタマの中で「食とは地球との一体性を保つための相互浸透!」といくら思って見ても、(もちろん一般論を . . . 本文を読む
(以下の記述は、自身が南郷先生に学んだと思うことを自分なりに理解したもの、あるいは自身の実践で確認し、考えたものであり、決してそれ以上のものではない。
それゆえに、本ブログに何某かの真理性が宿っているとするならば、それは南郷先生の偉大性ゆえであり、誤謬があるとすれば、自身の理解の不足、実力の不足のゆえである、と思う。
そういう意味では、本ブログの内容すべてがそうである、と思っている。念の為。) . . . 本文を読む
『夢講義(4)』(南郷継正著 現代社白鳳選書32)で、認知症にならないための実体の整え方を説いていただいている。
そこで、「脳は脳細胞から成り立っているだけに、細胞にとって必要な食べ物は当然のこと、脳そのものに必須の食べ物を絶対に除外しないでとり続けていくことです。」(第二編第一章)と説いていただいている。
それを読んで、細胞にとって必要な食べものということはなんとなくイメージ出来たものの、脳 . . . 本文を読む
我々は、何を食べるか、をどのようにして決めているのか、決めるべきなのか。
動物は何を食べるのかは、その種によって本能によって基本的に大枠では決まっている。例えば、肉食獣は肉を草食獣は草を、である。
それに対して本能の大部分を失った人間は、何を食べるのかはその個人の認識が決める。
本来ならば雑食である猿類の進化形の人間は、雑食であるべきもののはずなのであるが、現実には、私は肉しか、野菜しか食べ . . . 本文を読む
何を食べるべきなのか、を考える。
現代日本においては、食と健康とが関係があるということは知識レベルでは常識であると思える。
実際にテレビや新聞等でも、日々健康に良いとされる食べもの、その成分が紹介されるし、ネットでも健康につながる食に関する情報は氾濫している。
だが、それらのほとんどは、ある食べもの、成分が身体に良い、という事実レベルの情報でしかなく、決して、生命体にとっての食とは何か、人間 . . . 本文を読む
喉の痛みを訴えるMさんへの施術。
喉が痛くて唾も飲み込めないと訴えるMさんに対して。
頚肩部の触診。頚部に硬結。全体に凝り。
局所治療として、通常自身が指圧で使う頚部の箇所(扶突あたり)に対して鍼を一本。
それだけで随分と喉の痛みが和らいだ、とのことであったが、頚部の鍼を打った箇所と経絡のつながりのある合谷にもう一本。(手を良く使う職業ということからも)
加えて、肩凝りがひどかったので、 . . . 本文を読む
答の分からない問題にどう答えるべきかという問題が論じられ、空欄のままが正しいのだ、とされていた。そんなバカな!?と思える。
今朝の朝日新聞の教育関係のコラムで、試験で分からない問題があった時に、(学校や塾では)一般的には、空欄のままでは0点だから嘘でも何か書くように教わる。
しかしながら、教育という観点からは、適当にウソを書くように教えて良いのだろうか?分からないことは分からないと素直に認めて . . . 本文を読む