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「股関節重心」と「お灸セルフケア」でコリ・痛みの無い身体に

コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

フォイエルバッハ論について〜ヘーゲル哲学?の偉大性について〜

2016-11-20 23:02:22 | 覚え書
フォイエルバッハ論を読み返している。ヘーゲル哲学(思想?)の偉大性、ということ改めて痛感する。

唯物論や弁証法という対象の構造に分け入るための必須のことの基本的な理解を深めるため。との思いから、『フォイエルバッハ論』(大月書店版)を読み返している。(大月書店といえば、マルクス主義華やかなりし頃は有名な出版社であった。おそらく現代では知らないかたの方が多いかもしれないが、マルクス主義の文献については岩波書店等のものより優れている、と思う。)

その中で、ヘーゲル哲学の方法としての<弁証法>について述べられている。(エンゲルスは、ヘーゲルの観念論の立場での<弁証法>は不完全で、自分達の発見した<唯物弁証法>においてはじめて<弁証法>は、その本来の姿を現したとしている。ようであるが......。)

「これによってしかし、ヘーゲル哲学の革命的側面がふたたび取りあげられ、...(中略)...世界をできあがった諸事物の複合体と見るのではなく、諸過程の複合体と見なければならず、そこでは、見かけ上は安定した事物も、われわれの頭脳のなかにあるその思想的模像すなわち概念におとらず、生成と消滅というたえまない変化をとげており、そしてこの変化のなかで、どれほど偶然事ばかりのように見えたりどれほど一時的な後退が生じたりしようとも、ついには一つの前進的発展がつらぬかれるのだ、という偉大な根本思想──この偉大な根本思想は、ことにヘーゲル以来、一般の意識のなかへすっかりはいりこんだから、このような一般的な形で言いあらわせば、おそらくほとんど異論はないであろう。しかし、この根本思想をことばのうえで承認するのと、それをじっさいに当面の研究の各分野で個々に適用するのとは、別のことがらである。」(『フォイエルバッハ論』大月センチュリーズ)

ヘーゲルの偉大性、ヘーゲル哲学としては自身の理解を超えるものがあるが、思想レベルで捉えてみても、痛感される。この思想あればこその西洋文化の世界制覇があったのだと......。
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