東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

バドミントンの学び〜試行錯誤の二重性

2024-10-26 08:44:34 | 日記(2)
バドミントンを始めて8ヶ月余、ようやくスマッシュ打てるようになって来た。長かったなあ、と。

空手、ムエタイの準備運動という位置づけで、一から人間体の鍛錬をし直さないとこれ以上の発展は望めないだろう、との思いで始めたことの一つのバドミントン。

数ヶ月で区切りをつけて、空手、ムエタイにとの当初の思いとは違って、最初は空振りばかりで、こんなはずではとの思いでの、であった。(大学時代に少しやったことがある)

しかしながら、あれこれ工夫するものの一向に上達しない最初の数ヶ月(指導のあり方としては、やれば出来る!)

その間、このまま続けても意味が無いのでは?何のためにバドミントン?それにしても出来ないままに止めるのはなんとも悔しい!との二つの思いを行ったり来たりの、であった。

そのうちある出来事から、その指導者に違和感覚えるようになって、たまたまネットで見つけたのが現在、バドミントン教室。

体験会に参加して驚いたのが、そこの指導者は、しっかりとした「バドミントン観」(バドミントンは、基本の技でシャトルを打つ、それだけのこと、と)を持ち、かつ基本技からの丁寧な指導であった。

そんな見事な指導者であっても、やはり、こうやって打てば良いのだろうか?上手くいかないなあ。次はこうやってみようか?という試行錯誤の連続ではあった。

その結果として、現在の教室に移って3ヶ月余、やっとのことでどうにも上手く打てなかったオーバーハンドストローク、特にスマッシュが打てるようになって来た(具体的には、打った瞬間のパシッ!という音がしだした。)

振り返って思うことに、試行錯誤にも二重性がある。やたらめったらの試行錯誤と一般的な方向性と具体性のある指導があっての試行錯誤と。

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