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「股関節重心」と「お灸セルフケア」でコリ・痛みの無い身体に

コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

冬の木登りの始まり〜αρχη ημισυ παντος〜

2017-11-24 21:31:43 | 運動・鍛錬・リハビリ
木登り行った。ソクラテス的にということの大事性痛感する。

先週末あたりから昼間の気温も下がり、今週は河原で裸足で走ると足裏から冷えが上がってくる感覚があるので、昼間の鍛練は立木を拳、手刀、掌等で突き、打ち、叩きすることと、木に登ることがメインになっている。

その木登り、例年のごとくに、否、今年は夏から秋にかけて木登りを十分に行えなかったので例年にもまして、乾燥して滑る木に同じく乾燥して滑る掌、足の裏で登ることは困難を極めている。(それに加えて、年齢による衰えもあると......)

ここは、ともかくも無茶苦茶(ソクラテス的)であっても登ってみること、登る努力の繰り返しが必要であり、その繰り返しが自身の木に登る実力を培ってくれるのだと、過去のどうにかこうにかでも一度登れるとその次からはそれほどの苦労も無く登れるようになっていくという経験からも、人類が出来ないことを出来るようになっていったことの歴史に尋ねることからも、思える。

この出来ないことの、未知のことがらに関わっての、ソクラテス的悪戦苦闘の過程を、「αρχη ημισυ παντος(アルケーへーミシュパントス)」(始まりは全ての半分)とアリストテレスは古代ギリシャの諺を使って表現したのでは?とも思う。

しかしながら、冬の木登りに真面目に取り組んで今年で二年目であるのだから、どうにかこうにか登ることが出来るようになることに満足するのでは無しにその先へ、とも思う。

とともに、これ(まずはソクラテス的にということ)は自身のあらゆる学びの指針とすべきこと、と思える。何故ならば自身の一般性としてそのことの欠如があるから......と思える。

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