腕が上がらないということへの施術行なった。διάγνωσις(診断=分けて識ること)の大事性痛感された。
昨日、腕が上がらない、前からは上がる(屈曲挙上は正常)が横からは上がらない(外転挙上不全)という患者への施術行なった。
発症までの経過は、半年ほど前に転倒してコーレス骨折。約1ヶ月の橈骨遠位端部の固定、三角巾による受傷した上肢の固定(半固定?)を行なった。その固定を外してリハビリを行なって、固定を外して1ヶ月ほどで、握れなかった手指も握れるようになり、当初、動きの悪かった他の上肢の関節(手首、肘、肩等)も動かせる様になったが、腕が側方から上がらない、上げると痛い(肩の外転挙上不全)という症状が残っている。
上述の患者に対しての施術、おそらくはT先生のご指導からの「διάγνωσις =分けて識ること」の学びがなければ、学び以前の自身であれば、「前からは上がるが、横からは上がらないって???」となってしまって、「前からと横からでは、使う筋肉が違うのだろうが……」と途方に暮れてしまって、であったと思う。
しかしながら昨日は、「これは典型的な肩峰下インピンジメント!」と思え、発症までの経過の確認で、おそらく三角巾での半固定によって棘上筋を長く働かせないということからの、患者の年齢も併せて考えると、棘上筋機能不全が起こっての、との予測が可能となって、棘上筋を働かせる様に施術を行なったところ、100度くらいしか外転挙上出来なかった上肢が、嘘の様に上がることとなった。結果として、患者さんは、「全然違う!」と繰り返し上肢を外転挙上して見つつ帰って行かれた。
διάγνωσις (=分けて識ること)の大事性痛感されるとともに、これまで柔整学校で学んだものの興味を持てずに、単なる知識で終わってしまっている諸々のこと、例えば「肩峰下インピンジメント」、例えば「肩甲上腕リズム」等々が、「本当は、恐いくらいに役に立つことなのだ!」とその大事性、「それらが役に立たないのは、役に立たないそれらのことが悪いのでは無しに、役に立てられない自身の能力不足であったのだ」と、それらの役に立てられるようにの学び直しの必要性、痛感された。
昨日、腕が上がらない、前からは上がる(屈曲挙上は正常)が横からは上がらない(外転挙上不全)という患者への施術行なった。
発症までの経過は、半年ほど前に転倒してコーレス骨折。約1ヶ月の橈骨遠位端部の固定、三角巾による受傷した上肢の固定(半固定?)を行なった。その固定を外してリハビリを行なって、固定を外して1ヶ月ほどで、握れなかった手指も握れるようになり、当初、動きの悪かった他の上肢の関節(手首、肘、肩等)も動かせる様になったが、腕が側方から上がらない、上げると痛い(肩の外転挙上不全)という症状が残っている。
上述の患者に対しての施術、おそらくはT先生のご指導からの「διάγνωσις =分けて識ること」の学びがなければ、学び以前の自身であれば、「前からは上がるが、横からは上がらないって???」となってしまって、「前からと横からでは、使う筋肉が違うのだろうが……」と途方に暮れてしまって、であったと思う。
しかしながら昨日は、「これは典型的な肩峰下インピンジメント!」と思え、発症までの経過の確認で、おそらく三角巾での半固定によって棘上筋を長く働かせないということからの、患者の年齢も併せて考えると、棘上筋機能不全が起こっての、との予測が可能となって、棘上筋を働かせる様に施術を行なったところ、100度くらいしか外転挙上出来なかった上肢が、嘘の様に上がることとなった。結果として、患者さんは、「全然違う!」と繰り返し上肢を外転挙上して見つつ帰って行かれた。
διάγνωσις (=分けて識ること)の大事性痛感されるとともに、これまで柔整学校で学んだものの興味を持てずに、単なる知識で終わってしまっている諸々のこと、例えば「肩峰下インピンジメント」、例えば「肩甲上腕リズム」等々が、「本当は、恐いくらいに役に立つことなのだ!」とその大事性、「それらが役に立たないのは、役に立たないそれらのことが悪いのでは無しに、役に立てられない自身の能力不足であったのだ」と、それらの役に立てられるようにの学び直しの必要性、痛感された。