今後のブログ更新では、覚え書レベルのものもブログにアップしていきたいと思う。
ブログの記事、今年はしっかりと形式・内容ともに基準以上のもの、自身の中での基準でしかないが、を書いていこうと年頭に決意したのであるが、基準に満たないものであっても、ブログとしてアップするには思いも考えも不足のものであっても、後々にしっかりと思い考えを深めていかねばならないと思えることが多々有る。
例えば、望診の学びで化神について知ることで、東洋医学は現象論レベルに終始していて、構造レベルでは観念論へとなっていっているのでは?と思えたとか、シュテーリヒの歴史上の科学、哲学等の捉えかたが、例えば古代の科学・哲学や中世という時代の捉えかたが東洋医学の学びの指針となるように思えた等々の、それ自体としては自身では「おっ!」となるが思いつきレベルでしかなく、ブログ記事にするにはもう少し思いを深めしっかりと考えてやらねばならないと思うことが多々あるが、これらも書き残してやることで後々役に立つのではとの思いがある。それゆえに、カテゴリーに「覚え書」という項目を追加して、書いていくこととした。
これは、自身のアタマの書くということそれゆえに考えるということの量質転化の必要性という面と、それだけであるならば自身で現在も行っているように日記という形で残せば良いのであるが、加えて、自身では現時点ではそれ以上深められないものも、もしかしたらブログを読むかたの何がしかのヒントとなり深めていただけるということもあるのでは、自身では他人の実践に学ぶことの大事性を鍼灸学校入学以来、以前にもまして痛感しているので、との思いからである。
自身のレベルからしても、拙い、幼いレベルの記事が増えてしまうとは思うが、悪しからず・・・・・・。
ブログの記事、今年はしっかりと形式・内容ともに基準以上のもの、自身の中での基準でしかないが、を書いていこうと年頭に決意したのであるが、基準に満たないものであっても、ブログとしてアップするには思いも考えも不足のものであっても、後々にしっかりと思い考えを深めていかねばならないと思えることが多々有る。
例えば、望診の学びで化神について知ることで、東洋医学は現象論レベルに終始していて、構造レベルでは観念論へとなっていっているのでは?と思えたとか、シュテーリヒの歴史上の科学、哲学等の捉えかたが、例えば古代の科学・哲学や中世という時代の捉えかたが東洋医学の学びの指針となるように思えた等々の、それ自体としては自身では「おっ!」となるが思いつきレベルでしかなく、ブログ記事にするにはもう少し思いを深めしっかりと考えてやらねばならないと思うことが多々あるが、これらも書き残してやることで後々役に立つのではとの思いがある。それゆえに、カテゴリーに「覚え書」という項目を追加して、書いていくこととした。
これは、自身のアタマの書くということそれゆえに考えるということの量質転化の必要性という面と、それだけであるならば自身で現在も行っているように日記という形で残せば良いのであるが、加えて、自身では現時点ではそれ以上深められないものも、もしかしたらブログを読むかたの何がしかのヒントとなり深めていただけるということもあるのでは、自身では他人の実践に学ぶことの大事性を鍼灸学校入学以来、以前にもまして痛感しているので、との思いからである。
自身のレベルからしても、拙い、幼いレベルの記事が増えてしまうとは思うが、悪しからず・・・・・・。