職場であるリハビリ室の施術の標準化が必要、と思える。
これまで、リハビリ室の施術のあり方は、個々の先生がたの個性に任せて、であった。
自身が就職した8年前には、それなりのお決まりの形式はあったが、例えば「頚肩」と医師の指示があれば座位8分で、「腰」とあれば伏臥位8分で、「頚肩、腰」とあれば座位+伏臥位で10分、というのはあったが、自身が中心になって行う段階で、時間の縛りのみを残して、とした。また、それとても、緩いもので、患者の状態によって、時間が長くなることも止む無しと、時間が長くなることを容認するという状態であった。
理由は、端的には、どの患者も同じ様に施術する、というのでは......との思いがあった。
合わせて、自身の施術に他の先生がたを合わせさせるのは無理がある。
初心レベルに近い先生がたにとっては、自身の行う手技の施術を自身が学んだように身につけるのには、形だけでも、どんなに早くても3ヶ月〜半年はかかる(にもかかわらず現在の職場では、すぐに一人前に働くことを求められる)と思え、ベテランの先生がたにとっては、(彼等)自身の慣れ親しんだ手技の施術と、おそらくは全く異なるであろう手技へのモデルチェンジというのは、大変なことであろうと思え、ての無理がある、であった。
結果として、「患者さんが少しでも良くなって帰っていただけるなら、あるいは、来てよかったと思って帰っていただけたら、どんな手技での施術でも良いですよ。」と、自由放任での、となっていた。
しかしながら、現状を客観的に見るならば、必ずしも、患者さんのためのではなくて、施術者の自己満足という面があるのでは、これは自身をも含めて、思う。
そんな現状を変えていくには、手技の、少なくとも施術の形式の標準化、が必要では、と思える。
これまで、リハビリ室の施術のあり方は、個々の先生がたの個性に任せて、であった。
自身が就職した8年前には、それなりのお決まりの形式はあったが、例えば「頚肩」と医師の指示があれば座位8分で、「腰」とあれば伏臥位8分で、「頚肩、腰」とあれば座位+伏臥位で10分、というのはあったが、自身が中心になって行う段階で、時間の縛りのみを残して、とした。また、それとても、緩いもので、患者の状態によって、時間が長くなることも止む無しと、時間が長くなることを容認するという状態であった。
理由は、端的には、どの患者も同じ様に施術する、というのでは......との思いがあった。
合わせて、自身の施術に他の先生がたを合わせさせるのは無理がある。
初心レベルに近い先生がたにとっては、自身の行う手技の施術を自身が学んだように身につけるのには、形だけでも、どんなに早くても3ヶ月〜半年はかかる(にもかかわらず現在の職場では、すぐに一人前に働くことを求められる)と思え、ベテランの先生がたにとっては、(彼等)自身の慣れ親しんだ手技の施術と、おそらくは全く異なるであろう手技へのモデルチェンジというのは、大変なことであろうと思え、ての無理がある、であった。
結果として、「患者さんが少しでも良くなって帰っていただけるなら、あるいは、来てよかったと思って帰っていただけたら、どんな手技での施術でも良いですよ。」と、自由放任での、となっていた。
しかしながら、現状を客観的に見るならば、必ずしも、患者さんのためのではなくて、施術者の自己満足という面があるのでは、これは自身をも含めて、思う。
そんな現状を変えていくには、手技の、少なくとも施術の形式の標準化、が必要では、と思える。