10度目のテニス全仏優勝を果たしたナダル選手の言葉に、さすが世界のトップレベルの選手は違う、と感心させられた。
テニス全仏オープン、ナダル選手が10度目の優勝を果たした。朝日新聞によれば、優勝インタビューで、手首の怪我から過去3年間テニス四大大会から遠ざかっていたが、その間の心の葛藤について問われて、答えて曰く、「不安なら毎日ある。でも、それは良いことだ。強くなるために謙虚さを保て、より熱心に練習に向かう可能性を与えてくれる。」と。
自身の認識を振り返れば、青春時代には、希望を大きく持てるほどにそれが達成出来なかったらとの不安に押しつぶされてしまいかねない日々であったし、中年以降になって、希望がほとんど持てなくなってからは不安から逃れ、日々少しづつでもの努力を重ねていくことが可能となっていくことが出来ていたのだが、少し希望が出てくると……である。
これは、端的には「不安」ということを弁証法的に捉える(ナダル)のと、形而上学的に捉える(自身)のとの違いである、と思える。さすが世界のトップレベルの選手の認識は違うなあと感心させられる。
ここを別の言葉で言えば、武道の金言である「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ一歩進めそこは極楽」ということなのだと、にもかかわらず自身は、そこで一歩踏み込めずに下がってしまっているのだと……。
テニス全仏オープン、ナダル選手が10度目の優勝を果たした。朝日新聞によれば、優勝インタビューで、手首の怪我から過去3年間テニス四大大会から遠ざかっていたが、その間の心の葛藤について問われて、答えて曰く、「不安なら毎日ある。でも、それは良いことだ。強くなるために謙虚さを保て、より熱心に練習に向かう可能性を与えてくれる。」と。
自身の認識を振り返れば、青春時代には、希望を大きく持てるほどにそれが達成出来なかったらとの不安に押しつぶされてしまいかねない日々であったし、中年以降になって、希望がほとんど持てなくなってからは不安から逃れ、日々少しづつでもの努力を重ねていくことが可能となっていくことが出来ていたのだが、少し希望が出てくると……である。
これは、端的には「不安」ということを弁証法的に捉える(ナダル)のと、形而上学的に捉える(自身)のとの違いである、と思える。さすが世界のトップレベルの選手の認識は違うなあと感心させられる。
ここを別の言葉で言えば、武道の金言である「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ一歩進めそこは極楽」ということなのだと、にもかかわらず自身は、そこで一歩踏み込めずに下がってしまっているのだと……。