昨日は、せっかく書いたのに、接続不良で投稿出来なくて…
気を取り直して書いてみます
ICUに入ってた2週間というのは、ほぼ意識の無い状態(薬も使ってたらしい)
でも、不思議とハッキリ判った事がある
それは部屋が変わったって事
「ピンク色の部屋に移ったのね」と思ったの。
後で、“ICUの窓のそばのベッドに寝てた”と聞いて納得した
これも後で分かった事だけど、ICUにいた間の入院費の請求額…
300万円を越してました
休職中だったので、当時の社会保険本人が1割負担だったから、
それでも30万円超えるのよ
今は3割負担でしょ…
そして、ICUにいる間の看護婦さん同士の会話が、
なぜか、記憶にあるんだな
看護婦A「この患者さんどうしたの?」
看護婦B「お産の時の出血が多くて@#$%&(薬の名前)を多く使ったから
悪くなったらしいよ」
看護婦A「まだ若いのに大変ね…」
このようなやり取りは、あったかもしれないし、無かったかもしれない
なにしろ意識レベルは、無いか極端に低かったんだし。
でも、耳って、死ぬ間際でも聞こえてるって事だしね…。
当時、付き添い婦さんが、まだ許されていたんです。
ICUにも出入りしていた付き添い婦さん達に、
私は格好の話題を提供していたようです。
これも、後で、ある付き添い婦さんから聞いた話しです。
「若いのにこの先大変だね」とか、
「子供産まなかったら、良かったのに」とか…。
この「子供を産まなければ良かったのに」という言葉は、
とてもショックでした
これを話してくれた付き添い婦さんは、
「あんた、こんなに元気になったの良かったね」と
言って下さり、「あの頃は、仲間内で『可哀相に…』と言い合っていたんよ」って。
これを聞いてから、ある意味開き直ったように思います
次男を産んだから、病気になったとは考えもしませんでしたから
ショックは、ショックでした
けど、言いたい他人には、言わせておけと思いました。
「自分がこうなってみろや」って。
でもね、現実は甘くはなかったのでありました
ICUにいる時の、とっておきのお話しは、また…
虎は、何とか意地を見せましたね
まだ5ゲームも直接対決が残ってるよ
私は腰椎椎間板ヘルニア患者で、健常者と障害者の中間というカンジです。
麻痺があっても、日々の生活を楽しんでいらして素敵です
私も、ヘルニアでも楽しく生活したいと思って「椎間板ヘルニア(腰痛)、だけどスタイリッシュ生活!」というブログはじめました。http://herunia.noblog.net/
ヘルニアだけでなく、日常暮らしやすい方法を模索してるので体調のよいときに遊びにいらしていただけたらうれしいです。8/28には低反発ベッドパッドのことも書いてます。お大事になさってください。またお邪魔させていただきます
そちらのブログにもお邪魔させて頂きます。
今後もよろしくお願いします。
低反発のマットは、あるんですが、
起き上がりが割と大変で…。
冬場は、温かいので使います
竜との対戦がやたら残ってるし、虎はあそこの若いピッチャーにやられてるし…
今夜は札幌で、浜の奴等とやるんですね。
2連戦が多くなるので、慎重に行かないと