コロナ禍の世の中となり、今まで私は一度も耳にしたことがないと言っていい言葉「ソーシャルデイスタンス」。
正確に言えば「ソーシャルデイスタンシング」。
「社会的距離」
この言葉が世間に一気に広まり、大切なものになりました。
今は家族以外の方々と会う時、すれ違う時。
常に、それを意識して暮らす日々です。
こんな社会が訪れるなんて夢にも思わないことでしたね。
でもそれが今の現実。
緊急事態制限は解除されたものの、これからも当分、この距離を気遣いながら暮らすことになるのでしょう。
我が家の庭の唯一のバラです。
私は自粛生活をしないといけない時も、次女家族とはいつも通り週末には夕食を共にし、
手作りのお菓子を届けて下さった友人とも、玄関先で一度会いました。
万が一、このような人から感染したなら、それは運命として冷静に受け止めよう、と。
でも赤の他人には、自分でも情けなくなるほど警戒心を持って対応していました。
以前記事で触れたこともありますが、所用で止むを得ず、初めてバスに乗車した時のこと。
前の席のご高齢の婦人三人が声高におしゃべりをなさっていると、何だか不安になり、さりげなく席を移動してしまったことがあります。
道路ですれ違う人たちは、私だけでなく相手の方も心持距離を置くような歩き方をなさいます。
ジョギングをしている方は、私が心配するまでもなく、迂回して車道まで下り、私の傍を走り抜けると、また歩道に戻られる。
そんな方を二度ほど見かけました。
そこまで気を遣って下さらなくてもいいのにと恐縮してしまいましたけれど。
そのマナーは、マラソンをする方の常識になっているのかもしれません。
更に忘れられない光景は、スーパーの前の広場でのことです。
私がスーパの入り口に向かっている時、真向いから歩いてこられたご夫婦。
珍しく奥様はマスクなし。
一瞬私は不安に・・・。
少し離れて歩く姿勢になりました。
本当にさりげなくしたつもりだったのですが、ご主人様は咄嗟に私の気持ちを察せられたようでした。
何と、見ず知らずの私に、にこやかな笑顔で会釈をなさったのです。
私には、「ご心配をかけました」と言われたようで、心がほのぼの。
私の方こそ、失礼な態度ではなかったかと申し訳なくなりました。
政府が国民に強く要請したソーシャルデイスタンス、その他の注意事項を、徹底して守り抜こうとする、国民の誠実さと律義さ。
この素晴らしい国民性が、コロナウイルスの感染爆発を防いだ一番の要因であることは間違いないですね。
これからもこの社会的距離を当分心がけ、手洗いを徹底すれば、何とかコロナ禍を無事に乗り越えられるのではないでしょうか。
とは言っても、次女は、明日久しぶりに出勤するとのこと。
ラッシュ時は、そんな気遣いはとても無理でしょうから。
東京の感染者は、また徐々に増えつつあるので、とても心配です。
その点、長女は自転車通勤も可能。
必ずそうして下さいね。
政府の後ろ盾のもと、国民一人一人の努力で、狡賢くてくせ者のコロナウイルスに打ち勝つことができますように。
一日の感染者数を気に掛けながら、ひたすら祈る日々です。
下のバナーにポチッのクリックをいただけると、とても嬉しいです。
ご訪問と温かな応援、 本当にありがとうございました.